インタビュー
» 2011年07月25日 10時00分 UPDATE

電子版「ラブ&ポップ」をGALAPAGOSでリリースしたその理由:村上龍に聞く、震災と希望と電子書籍の未来(前編) (1/3)

作家、村上龍氏の代表作の1つ『ラブ&ポップ』の電子書籍版がTSUTAYA GALAPAGOSに登場した。バブルの残滓が色濃く残るこの作品を、震災のダメージ、政治の混乱、経済の低迷という三重苦の中にある現代のわたしたちが振り返ることの意味はどこにあるのだろうか? 氏が考える「電子書籍の未来像」など、気鋭のジャーナリスト、まつもとあつしによる村上氏へのロングインタビューを2回にわたってお届けする。

[まつもとあつし,ITmedia]
ラブ&ポップ

 1996年――バブル崩壊が指摘されつつも、まだその残滓が日本のあちこちに見られた時代だ。作家村上龍氏の代表作の1つ『ラブ&ポップ』もそんな日本の状況をよく反映した作品として知られる。援助交際を行う女子高生の渋谷での1日をつぶさに描いた作品は様々な反響を呼び、庵野秀明氏は初めての実写監督作品としてこれを選んだ。

 そんな『ラブ&ポップ』が、先月、「TSUTAYA GALAPAGOS」に電子書籍版として登場した。震災のダメージ、政治の混乱、経済の低迷という三重苦の中にあるわたしたちが「あのころの日本」を振り返ることの意味はどこにあるのだろうか? また、メールマガジンJMM・ビデオレポートRVRなどを通じて、政治・経済に対してもメッセージを発信し続けてきた村上氏は、2010年11月に電子出版会社「G2010」を立ち上げている。氏が考える「電子書籍の未来像」とは? ――じっくりと話を伺った。

村上龍さん 村上龍さん

震災とその後に残された希望

村上龍さん

まつもとあつし(以下――) 震災直後、村上さんはNew York Timesにエッセイを寄稿されて、そこに込められたメッセージが非常に注目を集めました。

村上龍 あれだけの大災害ですから、皆さんと同じように、ショックがあってですね。どう今後のことを考えていけばいいのかとか。特に福島第一原発の爆発の映像は僕にとっても衝撃的でした。正直動揺していたと思います。

 そういう中で、New York Timesに寄稿しました。原稿そのものは3月14日という早いタイミングにお渡ししています(筆者注:掲載は16日)。

 それから、約4カ月がたちましたが、復旧や復興は、僕は進んでないと思うんですよね。その象徴はがれきですけど。がれきの撤去は、ほとんど終わってないに等しい。

 ただ、震災から時間が経過し、被災地で避難所生活を送る人たち、福島原発の近くから避難している人たちは、何とか日常性を取り戻したいと思っているはずです。その日常性は、被災地の外にいるわれわれの「電力不足の不安がない生活に戻りたい」といったものとはニュアンスは異なることには注意しなければなりませんが。

宮城県女川町の様子(5月撮影) 震災のつめあとを残す宮城県女川町の様子(5月撮影)。建物の屋上に乗った車は津波の威力を物語る

―― 被災地の書店では、震災前よりも本が売れているという話を聞きます。「日常性」を取り戻したい、ということの表れかもしれません。

村上龍 震災前の日常を取り戻すというのが、まず復旧ということになります。そのためには、商品・モノが元のように行き渡る必要もあります。本がそういう中で、どのくらい読まれているのかは、僕にはまだ分かりませんが。

 いろんなものが助けになると思うんです。家族を中心とした人間関係であるとか。地域社会の結びつきとか。あるいは伝統的なお祭りみたいなものを、地域でやるとかというようなことも。さらには、音楽を聴くとか、映画を観るとか。

 被災地だけじゃないですからね。日本人全員がショックを受けたわけですから。そこで日常性を取り戻すというときに、本もその一端を担うということは、あるかもしれません。

―― 今回、ラブ&ポップを電子書籍化されたというのは、日常性を取り戻すということと何か関係があるのでしょうか? 15年前の良くも悪くも活気あふれる渋谷の描写は、懐かしさすら感じます。もはやおじさんたちもあんなふうに、お金を持っていないし、余裕がない。

村上龍 ラブ&ポップを電子化しようと思ったのは、去年の秋ごろなんですが――しかし、そういう読み方もできるかもしれないな……もはやおじさんたちも、援交なんてできるおカネもない。

―― 少しうがった角度からの読み方かもしれないですけど。現在と比較して、物哀しさとか、「日本も、ほんと元気なくなっちゃったな」と感じさせられました。

村上龍 いやいや、確かに。昔、109とかのビルの脇に、おじさんいっぱい集まっていましたからね。

―― 本のなかでも、109に溢れかえる商品の名前が延々と登場します。いまメーカー各社ともラインアップを絞り込んでいるなかで、ノスタルジーを覚えました。

村上龍 CECIL McBEE(セシルマクビー)とか、まだ残っているものもありますけどね。1996年のあのころもバブルが終わって、何となく、貧乏臭さが出てきた、シュリンクした時期だったんですけど。今はもっとひどいわけですね。

―― 仰るように被災地では本当にモノがすべてなくなってしまって、希望だけが今残された状況ですが、被災地の外でも、震災に至るまでも、モノによる豊かさはずるずると失われてきた……。

村上龍 New York Timesに寄稿したのは短いエッセイだったので、「希望がある」と取られたわけですけど、僕としては、「希望の芽がまかれた」という書き方をしたんですよ。ということは、希望を必要とする情況なわけですけど、希望を必要とする情況というのは、逆に言えばいま辛い情況なんですよね。

 希望があんまり必要じゃない人を思い浮かべると、分かりやすいんですけど。例えば年収1億4千万円ぐらいで、大邸宅に住んでですね、幸せな家族がいて、子どもも2人ぐらいいて。仕事もうまくいっていて――そういう人は、希望は要らないでしょ。希望が切実に必要な人というのは、会社を解雇された、明日からどうやって生きていけばいいのかとかね。そういう人に必要なんですよ。

 だから、あのエッセイを読んで「どこに希望があるんだ」って、言う人もいましたけど、そうじゃなくて、希望を獲得していくとか、希望が必要なんだって、自覚するということは、辛い情況のときなんですよというニュアンスを込めたつもりでした。この点についてはもう一度きちんとエッセイを書こうかなと思っているんですけど。

―― なるほど。

 その中で、やはり、本当に本は、まずそれこそ被災地でも手に入れることができて、読めば何かを得ることができるという意味では、道具といってしまうと、言葉がよくないかもしれないんですけど、非常に大事なツールではあったのかなというふうには、わたしも感じているんです。

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