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» 2011年02月15日 10時00分 UPDATE

徹底討論 竹熊健太郎×赤松健 Vol.2:雑誌でなくコミックスで利益を得る構造は、オイルショックがきっかけ (1/3)

「業界はこのまま行けば数年で崩壊する」――週刊連載を抱える現役漫画家である赤松健氏と、「サルまん」などで知られる編集家の竹熊健太郎氏。電子出版時代における業界の変動を漫画家と編集家という異なる2つの視点で解き明かす5日間連続掲載の対談特集。第2幕

[山口真弘,ITmedia]

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雑誌でなくコミックスで利益を得る構造は、オイルショックがきっかけ(竹熊氏)

竹熊健太郎氏 竹熊健太郎氏

竹熊 6年前に「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」という本を出したんですよ。きっかけは2ちゃんねるのスレッドで、バガボンドの井上雄彦さんの原稿料がページ当たり20万円だって書いてた人がいて。そんな額はあり得ませんよというのを匿名で書いたら向こうが突っかかってきてさ。ちょっとしたバトルになったんです。

赤松 20万円はないですね。

竹熊 僕が2ちゃんねるでバトルしたのはそれが最初で最後ですけどね。実は別ルートで、井上さんが「SLAM DUNK」をやってたときの最後の原稿料はこのくらいって聞いてたんです。そこから類推しても、20万円はあり得ないと確信していたんです。

赤松 単行本がある程度売れ始めると、原稿料はどうでもよくなりますけどね。

竹熊 それを機に、業界の原稿料の相場を調べてみたいと思って。でも、そうした話は漫画家の間でも聞きづらいわけですよ。だから、某出版社のある編集者にこっそり聞いたんですよ。もちろんプロですからどの先生がいくらもらってるというのは絶対に教えてくれないんですけど、代わりに、「竹熊さん、昔はともかく、今のうちではページ5万円以上の作家はいないと思ってください」とヒントをくれて。

 あとは別ルートで、某週刊漫画誌の編集経費が1冊約2000万円というのを聞いたことがあって。今だと中とじの雑誌がだいたい400ページくらいだから、単純計算で編集部が物理的に払える額の上限がページ当たり5万円だと。しかもどの作家も原作がつく可能性があるわけじゃないですか。その場合は原作者にも払う必要があるので、2万5000円というのが1つの上限の基準なのかなと。ギャグ漫画だとページ3万円とか4万円という人はいますけどね。

 それで変だなと思ったのは、最近の新人の原稿料と、僕が仕事を始めた1980年代初頭の新人の原稿料が同じなんですよ。バブルの真っ最中に出版社はあんなにもうけて、漫画が売れて売れてっていうころにも原稿料は上がってないわけですよ。でも、恐らく社員編集者の給料は上がってるんですよ。

赤松 まあね、多分。

竹熊 それで「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」を書いたんですけど、雑誌単体の売り上げで出版社が利益を得ていたのは、恐らく1970年代の頭くらいまで。僕が子どものころって今普通に売っている新書版コミックスがなかったんですよ。40年前までは、大手出版社がコミックスで利益を得るという構造がなかった。だから雑誌の原稿料だけで漫画家が家を買ったり、車を買ったりなんてことがあったんです。今じゃちょっと考えられない。

赤松 考えられないですね。

竹熊 1960年代まではね、大手の漫画雑誌の原稿料って高かったんですよ。

―― 昔の物価水準で言えば高かった、ということですね。

竹熊 そう。じゃあどこで雑誌で利益が上がらなくなってコミックスで利益を得る構造ができたかというと、1973年のオイルショックがターニングポイントだったと僕は推理しています。あの時は紙がなくなるというデマが流れて、全国のスーパーでトイレットペーパーが売り切れた。当時中学生だったからよく覚えてるんですけど、サンデーとマガジンの厚さが突然半分くらいになった時期があったんですよ。短期間でしたが。

赤松 ええっ。知らない。

竹熊 出版社の重役クラスのベテラン編集者に聞けば、覚えてますよ。ともかく、サンデーとマガジンがそのせいもあってガタッと部数を落としたんですよね。その間隙(かんげき)を縫ってガッと出てきたのがチャンピオンとジャンプ。特にジャンプは新人中心だったから、新人をどんどん売り出すことができたんですよ。

 ジャンプは創刊してから長らく、大御所作家が描いてくれなかったんですよ。永井豪さんが、ジャンプで「ハレンチ学園」が大ヒットして、そうしたらさっそく小学館や講談社で仕事をするようになったじゃないですか。それがあってジャンプは専属契約制を始めたのだと思います。1970年代初頭までベテランや売れっ子の作家は、みんなサンデーとマガジンが押さえてましたから、ページが減ったら新人がデビューする余地がないんですよ。しかしオイルショックであの2誌がその後しばらくだめになったというのが、僕の推理です。

赤松健氏 赤松健氏

赤松 あり得る話ですよね。ジャンプが昔、知名度や金がなくて新人だけで売ってかなくちゃいけないって努力をしたとは聞いていましたけど、紙が減ってスペースがなくなったって話をいま初めて聞いて、確かにと思いましたね。

竹熊 いろいろな情報から判断すると、そうとしか考えられないんですよ。1973年の夏から秋にかけてのサンデーとマガジンのページ減と部数減。その間隙(かんげき)を突いてのジャンプの台頭。あれは漫画史的には大きい出来事だったんじゃないかな。

赤松 私はジャンプの純血主義があるとしか思っていなかったですから、スペースの問題までは頭が回っていなかった。サンデーやマガジンはみんな大御所だったからいいんだけど、ジャンプは全然知らない作家ばかり。そうやって強くなっていったんですよ。そして、いまだに外の有名作家を入れることはないでしょ。マガジンだとバキが売れたら板垣(恵介)さんを持ってくるとか、CLAMPさんでも誰でも持ってくる。でも、ジャンプは絶対にそういうことはしない。まれに、江川達也さんとか例外はあるけど。

―― ジャンプの遺伝子がほかの漫画界に飛び立っていくことはあっても、ほかの遺伝子がジャンプに入ってくることはないって言いますよね。

赤松 ということだと思っていたんですけど、紙のスペースの問題は確かにあるのかなと思いましたね。そこから雑誌の売り上げじゃなくてコミックスの売り上げ中心に出版社は変わったってことですか。

竹熊 もちろんそれまでも小学館と講談社はコミックスを出していました。ただ新書版のコミックスを最初に手がけたのは大手ではありません。1966年5月、コダマプレスという小さな版元が、「ダイヤモンドコミックス」という名称で始めたものです。その動きを見て、小学館・講談社・秋田書店がその年のうちに参入しましたが、最初はどの版元も、これが漫画ビジネスの中心になるとは考えていなかったはずです。

赤松 「ドラえもん」とかのてんとう虫コミックスって私が幼稚園のときに持ってましたけど、あれは違うんですか。

竹熊 てんとう虫コミックスは1970年代半ばに始まったでしょ。そのころには各社が自社作品のコミックスを出すようになってたんですよ。小学館は大手では一番早くコミックスを出し始めた(1966年)んですが、最初のラインアップが「忍者武芸帳」と「鉄腕アトム」。これってどちらも小学館の連載作品ではありません。代わりに秋田書店が「サンデーコミックス」という名前で、サンデーの人気連載をコミックスにしてバカ売れして。漫画のコミックスはこんなに売れるっていうことを秋田書店が証明しちゃったんですよ。

赤松 それって何年の話ですか?

竹熊 秋田のサンデーコミックスが1966年に刊行開始です。サンデーの人気連載を秋田書店がコミックス化する流れは、1972年くらいまで続いていました。

赤松 それ、私がこの世にいないかギリギリいるかってとこですね。絶頂期は単行本を出したらお札を刷ってるような感じだったんですね。

竹熊 だから、赤松さんが生まれたころとか、物心つくかつかないかのころに大変動があったと思うんですよ。

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