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» 2014年08月01日 17時00分 UPDATE

まだ見ぬお宝を求めて:それいけ! デジコレ探索部「第6回 仏教を独自解釈した僧・一休宗純」

日本の貴重なデジタル化資料を公開している国立国会図書館デジタルコレクション(デジコレ)。本連載では、デジコレで見ることができるデジタル化資料の中からコレは! というものを探し出し、紹介していきます。

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 「あわてない、あわてない」「一休み、一休み」。

懐かしいわね、「一休さん」でしょ?

 とんちを効かせて、時の将軍・足利義満や新右衛門さんを助ける話はおなじみですね。

 さて、主人公の一休さんですが、実在の人物ということはご存じですか?

名前はたしか一休宗純……だったかしら? 教科書で見たことあるわ。

 さすがです。一休宗純は京都で、後小松天皇の子・千菊丸として生まれますが(諸説あり)、母親が将軍に敵対する南朝の藤原氏系の出身であったため、宮中を追われ、一休とは離れて暮らします。アニメと同じですね。

 その後一休は6歳で京都・安国寺に入門、周建の名を与えられます。13歳で建仁寺に入り漢詩を学び、13歳で『長門春草』を、15歳で『春衣宿花』を書きあげると、たちまち洛中で評判になったといいます。

 「一休」の名前を与えられたのは、京都・大徳寺の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子になってからです。華叟宗曇の下で修業を積み、印可状(師から弟子に与えられる証状。一休の属する宗派「臨済宗」では禅を極めた者に与えられる)を与えられた一休ですが、辞退したといいます。

 肉や魚を食べたり、女性を愛するなど戒律を無視した生活をした一休ですが、一方で寺の再興や創建に尽力したり、寺同士の派閥争いに失望して山中で断食死をしようとするなど、型破りな言動は仏教を自分なりに解釈していたからなのかもしれません。

 デジコレには、そんな一休が著したといわれる法語(仏教の教えを説いたもの)『一休骸骨』があります。

一休骸骨 一休骸骨
rmfigdezi125-2.jpg 「九年まで 坐禅するこそ 地獄なれ 虚空の土と なれるその身を(結局は死んで土になるんだから、9年も座禅することはない)」1ページ目から座禅を批判
rmfigdezi125-3.jpg 漫画チックな骸骨。人は死ぬものだということを表現しているのでしょう
rmfigdezi125-4.jpg 奥付には一休宗純の名前が

 『一休骸骨』の中で一休は、「もとの身はもとの所へかえるべし いらぬ仏を訪ねばしすな(人間は生きて死ぬものなのだから、仏教を学んだりする必要はない)」と仏教を否定する内容を書いていたりします。

仏教について考え抜いた、一休にしかいえない言葉ね……。

 固定概念に縛られず、一休みたいに柔軟な思考で生きることも大切だと思わされました。

(出典=国立国会図書館)

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