SF大賞受賞作家・藤井太洋、21世紀のSFと電子書籍のあり方を語るまつもとあつしの電子書籍セカンドインパクト

変化の最前線を行く人々にその知恵と情熱を聞くこの連載。今回は、『オービタルクラウド』で第35回日本SF大賞を受賞した藤井太洋さんに聞いた。

» 2015年03月18日 07時00分 公開
[まつもとあつしeBook USER]
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オービタルクラウド 第35回日本SF大賞を受賞した『オービタルクラウド』

 2014年3月に「電子から紙への大跳躍(グレートリープ)」としてインタビューを行った藤井太洋氏の『オービタルクラウド』が、2月21日に第35回日本SF大賞(以下SF大賞)を受賞した。

 作家、評論家、書評家、そして一般からエントリーと、日本SF作家クラブ会員の投票によるノミネーションを経て、選考委員による討議会で各年度における最も優れた業績を選び出す『日本SF作家大賞』に、セルフパブリッシング出身の作家の作品が選ばれた歴史的な瞬間だった。改めて藤井氏に話を聞いた。


SFが描きにくい時代への挑戦

藤井太洋氏 藤井太洋氏

―― SF大賞受賞おめでとうございます。

藤井 有難うございます。小説を書き始めて3年でこんなに大きな賞を頂いたことを本当に嬉しく思います。前回のインタビューでもお話ししたように、3人称視点での初めての作品でしたからね(笑)。

―― ずばり受賞された理由はどこにあったと捉えていますか?

藤井 本作を推薦頂いたSF作家の長谷敏司さんには「こういうヒーロー像は今までなかった」というコメントを頂いていますね。

 主人公の木村和海はもちろん、ライバルの白石蝶羽に至るまで、オービタルクラウドの登場人物は、正義感よりも自身のプロフェッショナリティに忠実なんです。「自らの仕事をいかに達成するか」に動機がある、いわば「お仕事小説」なんです。近未来SF小説としての強度もさることながら、純粋なエンターテインメントとしても評価頂いたのだと思います。

―― ヒーロー像ですか。確かに、科学者というわけでないのは新鮮だったのかもしれませんね。

藤井 科学者が主人公の作品は、特に黄金期と言われる50年代から70年代にかけて、たくさんありましたからね。それでも、私が物語を書くときに目指しているのは、「あの時代のようなSFが今でも書けるということを証明したい」ということなんです。

 かつて、科学技術の進歩とそれがもたらす危機――例えば新幹線、大阪万博やアポロ計画そして公害や核問題のように――は、私たちの生活の中で目に見えて分かるものでした。SFも目の前にある未来に対する期待と同時に問題提起を行うものが沢山あったのです。

 宇宙ステーションが実現して、かつてSFが描いてきた状況が実際に生まれてしまった。そしてヒッグス粒子が見つかったとされますが、こちらは実感がわかないし、私たちとの関係も分かりにくい。ただ情報だけがあふれています。

―― インターネットの普及も相まって、映画『ゼロ・グラビティ』でも間違いの指摘が盛んに行われる、といったこともありましたね。SFのフィクションの部分が小さくなっている感は確かにあります。

藤井 窮屈な状態にはありますね。でも書けないわけではない。オービタルクラウドは2020年が舞台ですが、ほとんど現代と変わらないテクノロジーとそれに向き合う人々のプロフェッショナリティを軸に物語を動いています。

―― それらを描き出す際に、藤井さんのこれまでのテクノロジーライティングのご経験も生きている?

藤井 そうですね。細部の描写はもちろんですが、会社勤め時代の経験やネットワークは生きていますね。オービタルクラウドの登場人物もほぼ全員モデルがいます(笑)。

電子から紙、そしてSF大賞への跳躍の意味

―― セルフパブリッシングでの電子書籍『Gene Mapper(ジーン・マッパー)』は早川書房から刊行、そこから今回SF大賞を受賞したオービタルクラウドに至る道のりは、作中でも描かれた個人の、手作りのアイテムが世界に影響を及ぼしていく過程に通じるものがあるようにも感じました。

藤井 それは特にそういう風に意識した訳ではありません。ただ確かに個人が生みだしたものが、世界に一気に広まっていく快感、そしてそれらはプロが作ったアイテムに何ら劣るものではないという現実感は、両作品で描きたかったテーマではあります。

―― 藤井さんは小説で賞を獲られたのも初めてですが、これまで作家としてのデビューは、文芸誌での新人賞を獲得し、それを契機に連載をはじめ単行本へ、というのが一般的だったと思います。実際にセルフパブリッシングから文芸誌を経ずに単行本でSF大賞に至ったプロセスを振り返って、変化は感じますか?

藤井 Gene Mapperを書いたときも、賞は全く意識していませんでした。もちろんいま言われたような流れがあることは知識として知っていましたが、あくまで自分が書いた作品を、まずは知人に、そして広くいろいろな人に読んでもらいたいという思いからのセルフパブリッシングでしたね。

 ただ去年、Gene MapperがSF大賞にノミネートされてからは、受賞が1つの目標になったのは間違いありません。セルフパブリッシングからスタートした場合、従来と違って肩書きに「○○賞受賞!」といった帯がつきません。今回そういうタイトルを得られたことは率直に嬉しいですね。

―― マンガの世界ではcomicoのように、新人賞からではなく、自主的な投稿を起点に原稿料を伴った連載を獲得し、単行本発売へ、といった動きが始まっています。

藤井 小説の世界でもそういった動きが増えていくでしょうね。「小説家になろう」「アルファポリス」や「エブリスタ」からデビューする人がたくさん出てきています。そういったデビューを飾った方からメジャーな賞を獲得して人気作家になる人が増えてほしいと思います。あるいはもうその時点では人気作家なのかもしれませんが。

―― 藤井さんご自身はそういったプラットフォームを使って作品を書くことは考えなかったのですか?

藤井 それはなかったですね。そういった場所の多くは1冊の「本」をアップロードするのではなく、1話ずつ公開していく連載形式です。でも私は「本」を読んでほしかったんです。パッケージとして閉じられている「本」を独立した作品として。そして自分の手を離れた後は、オープンなレビューを受けます、という姿勢で作品を出したかったのです。

 連載は作品の内容に影響を与えます。一度出した部分への、読者からの影響を避けることができない。それはしたくなかったということですね。パブリッシュしたあとは、誤字脱字といった明らかな誤り以外は一切内容を変更していません。その作品に対して批評は存分にやってください、という姿勢です。

―― なるほど。ただ、藤井さんのように作品を独力で完成まで持って行ける人は希なのではありませんか?

藤井 それは分かりません。ただ、自分としてはそれがフェアなやり方だったということですね。一冊の本という形にせよ、連載という形にせよ、レビューを受けて内容を変えてしまっては、それ以前に評価をしてくれた人を場合によっては嘘つきにしてしまいかねません。

―― アプリのレビューとはまた意味が異なる、というわけですね。電子書籍もアプリ的だと言われることもありますが。

藤井 レビューも1つの著作物ですからね。仮にアプリや電子書籍のように形を変える作品であったとしても、レビュワーの評価によってテーマやコンセプトを変えることがあっては信用を失うことになってしまいますから。やはりアートは独立した存在であることが大切だと僕は思っています。

 逆にその信頼を失わないように形を変える作品であれば、取り組みたいと思っているんですよ。KindleのX-Rayなんか索引の新しいあり方の端緒を示してくれていると思うんですが、機械的な索引はそっちに任せて、もっと有機的な、人の手を介さないとできないような索引があってもいい。あるいは、Word Wiseも読者によって異なる体験となるわけです。より進めて、例えば読むスピードや頻度でルビやあらすじの表示のされ方が変わったりしたら面白いと思いませんか?

―― それは面白いですね。体験してみたいです。日本語とも大いに関係するそういった新しいアイディア、電子書籍ならではのリーダビリティが、Kindle以外の国産プラットフォームから出てくることも期待したいところです。

原点となった3冊と『アンダーグラウンド・マーケット』

アンダーグラウンド・マーケット 3月20日発売予定の『アンダーグラウンド・マーケット』

―― 3月20日には、やはりセルフパブリッシングが起点となった『アンダーグラウンド・マーケット』も発売となります。

 今度は東京オリンピック直前の2018年、TPPや移民、仮想通貨、格差社会などホットなキーワードが立て続けに出てくる息もつかせない展開の作品です。そんな藤井さんの作品の原点となった作品を教えてください。


藤井 全て大学時代に出会った本となります。まずは『利己的な遺伝子』ですね。初めて自分のおカネで買ったポピュラーサイエンスの本です。

 SFを書くようになった今、この本から受け取ったのは、まさに“センスオブワンダー”だったことに気づきました。言葉を使って、漠然と考えていた生命と遺伝子の関係を刷新してしまうんです。個々の事例は知っていたものも多かった。それでも、生命が遺伝子の乗り物であるというアイデアに導いていく手さばきに圧倒されます。私の土台になった作品と言えると思います。

 いまも時々読み返すのですが、冒頭に「この本はほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい」と宣言されているんですよね(笑)。この一冊によって読み物としてのサイエンスのパラダイムが変わった、そのことを体感したのは大きかったと思います。

―― 遺伝子ビジネスも拡がりを見せていたり、IPS細胞に注目が集まる中、改めて読み返すべき一冊とも言えそうですね。

藤井 もう1冊は、『未来の二つの顔』です。繰り返し読んだのでボロボロになってしまっています(笑)。人工知能が果たして人間を打ち倒すのか、それをスペースコロニーで実験するというのが大まかな話なのですが、その壮大さに“やられた”一冊ですね。

 ディテールも非常に練られていて、コンピューターが「生きたい」という本能を呼び覚まさせるために停電を使うというギミックが用いられていて、それを回避するルーチンがやがて反乱を起こすアルゴリズムに繋がっていったりします。

 70年代に書かれた作品ですが、今ならデータセンターを舞台に同じような状況が生まれたりしないか――そんな現代に通じる問題提起も感じさせる、まさにSF黄金期の作品ですね。星野之宣さんのコミカライズもおすすめです。

繰り返し読んだという『未来の二つの顔』を手に

―― まさに先ほどのお話にもつながる作品ですね。

藤井 最後の一冊はわたしを“変えなかった”作品です。『はてしない物語』、映画『ネバーエンディング・ストーリー』の原作です。

 この本自体が、主人公の少年バスチアンが作中で読む本と同じ装丁になっています。挿絵も彼が読むのと同じものが入っていますし。メタフィクションの構成を、装丁までもが担っているのです。

 本文は赤色と緑色の文字で印刷されています。赤色が主人公バスチアンのいる世界を描く部分で、緑色の部分はバスチアンが読んでいる本の内容です。大学時代、今は妻になった交際相手から勧められて読んだのですが、「なぜ自分はこれを14歳までに読んでおかなかったのか!」と、もう参ってしまって(笑)。

『はてしない物語』の挿絵を開きながら

―― 14歳、思春期までに読んでいれば変わっていた?

藤井 そうですね。もちろん今読んでもストーリー構成はしっかりしていますし、ファンタジーとしても骨太な、思索的な作品です。当時のヨーロッパ世界への風刺も盛り込まれています。ただ、この読書体験を主人公と同じくらいの年齢で読んでいれば、読書体験を自分の中に、もっと別の形で埋め込むことができただろうに――とものすごく残念なんですよ。

―― しかし、こういった仕掛けはこれから電子書籍時代になると難しくなる?

藤井 いや、逆だと思います。先ほどの話にも通じますが、電子書籍ならではのやり方があるはずです。例えばスマホで電子書籍を読んでいる――そういったシチュエーションに寄り添ったギミックってあるはすですよね。印刷のインクの色ではなくて、ディスプレイの文字の色や形だったら……。

―― なるほど、電子書籍ならではの工夫や読書体験の提供の仕方があるだろう、というわけですね。

藤井 紙と文字だけでもこれだけのことができる。電子書籍であればきっと、もっと違う体験が提供できるはずです。「はてしない物語」はそういうことを思い起こさせてくれる、という意味でも素晴らしい本です。僕自身もそうですし、電子書籍界隈としても、これを超えなければいけないと思いますね。

インタビュワー紹介:まつもとあつし

まつもとあつし

 ジャーナリスト・プロデューサー。ASCII.jpにて「メディア維新を行く」ダ・ヴィンチ電子部にて「電子書籍最前線」連載中。著書に『スマート読書入門』(技術評論社)、『スマートデバイスが生む商機』(インプレスジャパン)『生き残るメディア死ぬメディア』『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(いずれもアスキー新書)『コンテンツビジネス・デジタルシフト―映像の新しい消費形態』(NTT出版)など。

 取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進めている。DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士。Twitterのアカウントは @a_matsumoto


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