追悼:富田倫生さん――書籍の「青空」を夢見て走り続けた人(1/2 ページ)

8月に亡くなった「青空文庫」呼びかけ人・富田倫生さんの追悼イベントが行われた。「青空文庫」という名称に込められた富田さんの思いとは何だったのか。この追悼イベントでは富田さんを間近に見てきた人たちによって、その思いが振り返られた。

» 2013年10月11日 08時00分 公開
[まつもとあつし,ITmedia]

 eBook USERの読者であれば「青空文庫」の存在をご存じだろう。著作権の切れた作品を中心1万2000点以上の電子化を行い、無料・無許諾で利用可能としている電子図書館だ。国内ではAmazon Kindle、Apple iBookstore、楽天koboなど主要な電子書店が青空文庫の作品群をラインアップしている。

 テキスト入力を始めとした電子化やその校正を行っているのは、青空文庫の趣旨に賛同した約800人からなるボランティアだ。8月に61歳で亡くなったこの青空文庫の呼びかけ人・富田倫生(みちお)さんの追悼イベントが9月25日に行われた。

青空文庫に込められた思い

「富田倫生追悼イベントと「本の未来基金」創設のお知らせ」サイトより

 1952年に広島市に生まれた富田氏は、作家・編集者として活動。著書に日本電気がパソコンを生み出す過程を描いた『パソコン創世記』(TBSブリタニカ・1985)、エキスパンドブックの活用からなる電子書籍への展望を描いた『本の未来』(アスキー・1997)などがある(元日本マイクロソフト社長の古川享氏は「パソコン創世記」における富田氏の取材姿勢を高く評価していた。)。この「パソコン創世記」が絶版となったことを1つのきっかけに、富田氏は自らの手による書籍の電子化、そしてインターネットを通じて誰もが自由に本を読める「青空文庫」の創設に向けて動き出す。

『パソコン創世記』(TBSブリタニカ)
『本の未来』(アスキー)

 そこに至る思いは現在青空文庫に公開されている「本の未来」のまえがきに、余すところなく記されている。イベントの中で映像も紹介されたこの一節を、少しボリュームが大きくなるが引用したい。

新しい本の話をしよう。
未来の本の夢を見よう。
ずいぶん長い間、私たちは本の未来について語らないできた。ヨハネス・グーテンベルクが印刷の技術をまとめたのが、十五世紀の半ば。だからもう、新しい本を語るのをやめて、五百年以上にもなる。
あの頃天の中心だった地球は、太陽系の第三惑星になり果てた。光の波動を伝えていたエーテルも、今はきれいさっぱり消え去った。それほどの長い時が過ぎてなお、本は変わらなかった。
時間をかけて練り上げた考えや物語をおさめる、読みやすくて扱いやすい最良の器は、紙を束ねて作った冊子であり続けた。
けれど今こそ、本の未来について語るべき時だ。
私たちは、たいていの人が自分のコンピューターを持って、そのすべてがネットワークされる新しい世界に向かいつつある。国の境や距離の重みが薄れ、望むなら、地球の上の誰とでも大脳皮質を直結できるようになるだろう。
誰も経験したことのない、わくわくするような奇妙な世界が待っている。
人々の考えや思いや表現は、電子の流れに乗って一瞬に地球を駆けめぐる。そうなってなお、考えをおさめる器が紙の冊子であり続けるとは、私には思えない。
本はきっと、新しい姿を見つけるに違いない。
そんな本の新しい姿を、私は夢見たいと思う。
たとえば私が胸に描くのは、青空の本だ。
高く澄んだ空に虹色の熱気球で舞い上がった魂が、雲のチョークで大きく書き記す。「私はここにいます」
控えめにそうささやく声が耳に届いたら、その場でただ見上げればよい。
本はいつも空にいて、誰かが読み始めるのを待っている。
青空の本は時に、山や谷を越えて、高くこだまを響かせる。
読む人の問い掛けが手に余るとき、未来の本は仲間たちの力を借りる。
たずねる声が大空を翔ると、彼方から答える声が渡ってくる。
新しい本の新しい頁が開かれ、問い掛けと答えのハーモニーが空を覆う。
夢見ることが許されるなら、あなたは胸に、どんな新しい本を開くだろう。
歌う本だろうか。
語る本だろうか。
動き出す絵本、読む者を劇中に誘う物語。
それとも、あなた一人のために書かれた本だろうか。
思い描けるなら、夢はきっと未来の本に変わる。
もしもあなたが聞いてくれるなら、私はそんな新しい本の話をしたい。
これから私たちが開くことになる、未来の本の話をしたいと思う。

「青は藍より出でて藍より青し」

 1997年初出の本、インターネットもまだ一般には黎明期にあった時期に、このような未来の本の姿を描き出していた富田氏のビジョンには改めて驚かされる。そして、当時この理想を実現するための有力なツールが、ハイパーカードを活用した「エキスパンドブック」だった。エキスパンドブックによる書籍の電子化をきっかけに、富田氏とともに電子書籍の分野を開拓してきたボイジャー代表取締役・萩野正昭氏は、追悼イベントの講演で、生前の富田氏の映像を交えながら、その創設から現在に至る歩みを振り返った。

 生前、富田氏がよく引いた「青は藍より出でて藍より青し」という故事。紙の本を模倣することで生まれた電子書籍だが、例えば、視覚に障害を持つ人々から、「読み上げ機能を備えた電子書籍こそが、まさに“本”なのだ」という言葉を受けたことがある、と荻野氏は振り返る。

 山形浩生氏からの「青空文庫はしょぼい(自由に使えるとしながら、どう自由に使えるかが定義されていない)」というブログエントリ(青空文庫について(1999.04.15)※このリンク先にあるように、山形氏もその後青空文庫の対応を受け、その意義を評価する姿勢に転じた)での批判を受けて、利用のための丁寧な情報公開をはじめたことも紹介された。ボランティアによって入力されたテキストファイルとレイアウトを定義するXMHLファイルが整備されたことによって、今日でも利用され続ける「知の共有財産」として青空文庫は確立したといえるだろう。

 青空文庫が、対価を求めることなく約15年の間、淡々と作品を蓄積し、利用のためのルールを確立していった一方、商業分野での電子書籍は、フォーマットやビジネスモデルの壁にぶつかって、幾たびもの「電子書籍元年」を迎えては終息するという紆余曲折の歴史をたどった。EPUB 3という標準技術が進んでなお、「電子書籍はいつか読めなくなるのではないか」という不安を隠せない読者も多い。

 実際、当初Appleの技術に依拠していたエキスパンドブックは、ボイジャーの尽力によってハイパーカードから独立した電子書籍制作環境・リーダーとして開発が継続されるが、一般に普及が大きく拡がることはなかった。エキスパンドブックが追い求めた紙の本のような読みやすさから離れ、Web標準を採用することで、将来にわたる再利用のしやすさ、そして、「たずねる声が大空を翔ると、彼方から答える声が渡ってくる」ように、ハイパーリンクによる相互参照の容易さを突き詰めた結果が、青空文庫なのだ。

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