台湾の電子書籍事情から見えてくるもの 大手出版社の若手社長はこう考えるまつもとあつしの電子書籍セカンドインパクト

変化の最前線を行く人々にその知恵と情熱を聞くこの連載。今回は、日本の作品を既存の商慣習を打ち破って電子化展開し、ビジネスの活路を見出そうとしている青文出版社の黄詠雪総経理に聞いた。

» 2015年06月16日 12時30分 公開
[まつもとあつしeBook USER]

 「出版不況」が叫ばれて久しい。そして、単なる電子出版では、それを打破することは難しかったこともわたしたちは身をもって知ることになった。

 海を隔てた台湾でも事情は似るが、日本の作品を既存の商慣習を打ち破って電子化展開し、ビジネスの活路を見出そうとしている人物がいる。それが、青文出版社の黄詠雪総経理だ。

台湾の電子書籍を巡る環境

青文出版社 黄詠雪総経理 青文出版社 黄詠雪総経理

―― まず台湾と日本の電子書籍を巡る状況の違いを教えてください。

 日本では2010年が「電子書籍元年」だったと伺っています。台湾も別の意味でその年はとても重要な1年でした。書籍全体の市場規模がピークを迎えたのです。

 そのため、台湾の出版業界は電子書籍をほとんど意識していませんでした。紙の本だけを扱っていれば良いというのがほとんどの出版社の本音だったと思います。

―― なぜ2010年にピークを迎えていたのでしょうか?

 その年の書籍出版市場規模は367億NTD(日本円で約1000億円)でした。2008年のリーマンショックの影響を受けて底を打った書籍市場が、その反動で盛り返した年で、弊社もこのとき、紙書籍の売り上げは前年比で10%伸びました。

 ただ2010年以降、市場規模は小さくなり、盛り返すことが期待できない状況が続いています。2014年の市場規模は227億NTDとピーク時の4割減です。

出版社数 出版社売上額
2010年 1771 36,751,031千元
2011年 1740 35,244,446千元
2012年 1750 35,236,761千元
2013年 1745 26,995,482千元
2014年 1721 22,692,176千元
台湾書籍出版市場規模(出典:財政部營利事業家數及銷售額資料庫)

 市場規模は縮小していますが、出版社の数は減っておらず、1700社ほどあります。年間の新刊タイトル数は約4万2000点で、2010年とあまり変わりありません。つまり、実売率は6割しか残っていないことになり、2000部売れていた本も1200部しか売れないわけです。

―― 日本のいわゆる出版不況と状況は似ていますね。スマホ普及の影響もあるのでしょうか。

 そうですね。ただ、出版社側の電子書籍に対するマインドが日本を含めたアジア諸国の中でも非常に消極的なのが大きな違いです。電子書籍に対する取り組みがとても遅いんですね。

 その大きな理由が、書籍に占める翻訳タイトルの多さです。4万2000点のうち半分以上が教科書・参考書で、その4分の1は翻訳書。セールスランキングの上位70%も翻訳書が占めています。台湾オリジナルのタイトルは少ないです。

 このことが電子書籍化に当たってハードルになります。台湾で生まれた=自分たちで生みだしたタイトルであれば電子化も比較的容易ですが、外来の書籍ではそうはいきません。

―― 権利処理が新たに必要になるから、ですね。

 そうです。電子書籍自体に対する業界の関心は2007年ごろから高まっていましたが、新たに権利処理とそれに伴うコストが求められること、電子書籍の売り上げに占める比率が少なかったことなどから、2013年ごろまで取り組みが本格化することがなかったのです。約1700社ある台湾の出版社のうち、電子書籍に自ら取り組める規模の大きな出版社は10社程度。電子書籍はやりたくとも、資本、人手ともに手が出せない中小規模の出版社がほとんどです。

―― 日本も似た状況にありますね。日本の場合、紙の本は再販売価格維持制度(再販制度)があり、取次事業者に本を納品すれば一定の売り上げが立つ商流が電子化をある意味阻んでいた面もありますが、台湾ではいかがでしょうか?

 台湾には再販制度がなく、書店は本を値引きして販売することができます。その結果、本1冊を売ったときの利益は薄くなりがちです。日本と同様、経理上の売り上げは取次に卸した際に立ちますが、その後の実際のキャッシュは小さくなることが多いということですね。紙の本が売れない環境下で、書店での値引きも激しくなっています。中間コストを抑え、新たな市場を開拓するには電子書籍は必須なのです。

―― なるほど。シェアの大きな翻訳書の電子化の権利を改めて獲得しなければならないのは、ミニマムギャランティー(MG)の交渉含めて新たなコストが発生しますね。

 その通りです。紙の本だけでも利益が見込めないのに、電子化のために新たなコストなんて、というのが多くの出版関係者の正直な気持ちだったと思います。

青文出版社の挑戦

―― そんな中、黄さん率いる青文出版社は2015年2月からデジタルコミックの無料配信サイト「無限誌」をスタートするなど、電子書籍への取り組みを加速させています。

 まずわたしが取り組んだのは、古くから手がける『ドラえもん』など、日本の出版社と電子出版の条件について再交渉を行うことでした。もう1つは、翻訳書の取り扱い比率を下げて台湾発のオリジナルのタイトルを作っていくことです。

―― オリジナルタイトルを育てていくのも手間とコストが掛かります。

 台湾でも人気のあるコミックやライトノベルに力を入れているところですが、仰るように育成は大変です。台湾の読者は既に日本の作品に親しんでいますので、そのクオリティーに至るまでは時間が掛かります。従って、それと並行して日本発作品の電子化のための再交渉(MGなどの条件の緩和)に取り組んだのです。

 実際、交渉はタフなものでした。しかし、ここで電子書籍の市場を開拓しなければ、書籍コンテンツそのものの市場が台湾から失われてしまう、という危機感がわたしにはありました。台湾最大の出版社(東立出版社)はこれまで年間約260タイトルの日本の翻訳書を出していましたが、今年は約130タイトルまで絞り込んできています。

―― このままだと、台湾書籍市場での日本作品の存在そのものが危うくなってしまう?

 そうですね、そういうリスクがあるという意識をまず持って頂けるよう粘り強く日本に足を運び、出版社の皆さんと協議しました。

 台湾では2013年ごろから大手出版社が電子書籍の展開を始めたことは先ほどお話ししましたが、書籍全体の市場227億NTDのうち電子書籍はわずか1%です。でも日本の状況を見聞きするにつれ、「台湾でやれないことはない」とわたしは確信するようになりました。

 そこで弊社がまず電子化展開に着手したのは、コミックではなくファッション雑誌でした。

 わたしたちが台湾で発行している日本のファッション誌(ViVi、With、minaなど)は、日本から提供されているページと、台湾で弊社が独自に加えているページで構成されています。この弊社独自ページの電子化展開であれば、比較的許諾が降りやすいのではないかと、講談社さんや主婦の友社さんと2013年から相談をはじめたのです。

―― 日本のブランドで展開しているファッション誌の台湾オリジナルページを先に電子化したわけですね。

 そうです。特集ページを抜き出して電子化し、それを無料で提供しました。それにより、紙の雑誌・有料版電子雑誌への誘導を図る取り組みです。

 2014年に『mina』でこの取り組みを始めたところ、有料電子版の売り上げが全体の1割を占めるといううれしい結果が得られ、手応えを感じました。

 minaは紙・電子ともに定価は98NTDです。しかし、先ほどお話ししたように、台湾では紙の書籍・雑誌も値引きが一般的です。同じように値引きされている場合、特にファッション誌は紙の方を読者は好む傾向があります。さらに、電子版は言語圏が同じである中国からの海賊版が残念ながら台湾でも選ばれてしまうことがあります。そこで、台湾では電子版の書籍・雑誌は定額制で提供する形態がスタンダードになっています。

―― 定額読み放題であれば、わざわざ海賊版を探さなくても、正規版を読んでくれる読者も一定ボリュームいると。minaもそこで販売されているわけですね。

 はい。定額読み放題の料金は月額99NTD〜149NTDと幅はありますが、無料で台湾オリジナルページを読んでもらうことで、この定額制サービスのラインナップからminaをはじめとする弊社扱いのファッション誌の購読率が向上しました。

BinBを採用しコミックの無料配信も開始

無限誌

―― minaでの取り組みは、新たに権利元へのコストを掛けることなく、電子版の売上拡大に繋がった例となりますが、コミックやライトノベルについてはいかがですか?

 雑誌での成功を足がかりに、2014年から日本の版元との話し合いを始めました。初期の交渉は難航しました。日本と台湾の商慣習の違いや、かなりのボリュームの試し読みを可能にしなければならない点などで、賛同を得ることが難しかったのです。ブラウザ上で読めるようにするのも、販売地域を限定する従来の考え方とは異なる部分がいろいろと出てきて、検討時間もかなり掛かりました。

 もう1点は韓国との比較です。海外展開の際、日本の版元は韓国と台湾の条件を比較することが多いです。韓国の方がネット普及が進んでおり、市場も大きいため電子書籍を展開する際、MGを支払うのが一般的です。しかし、台湾の出版社はMGを支払う余力はない、というのはこれまでお話ししてきた通りです。

 これまで台湾の通信キャリアが、日本の版元と直接交渉してMGを支払い、日本のコンテンツを彼らのサービスの一環として展開する例(ブックイレブン)はありました。電子書籍そのもので利益がでなくてもよいという目算だったのだと思いますが、継続的なビジネスモデルではなく、そのサービスはすでに終了してしまっています。

 このサービス終了が事例となり、2014年後半から、台湾市場の特徴を日本の版元もよく理解頂けたのだと思います。それ以降は、弊社の提案――台湾の電子市場をともに作って行きましょう――を前向きに検討頂けるようになりました。市場がなければ、良い条件での契約もないわけですから。

―― 御社は小学館からライセンスを受け、『ドラえもん』の台湾版を1976年から販売されています。紙の本でそれだけ長い実績があっても、電子書籍の開始には苦労されたわけですね。

 わたしの祖父の代、著作権に対する意識がほとんどなく海賊版であふれかえっていた時代から、弊社は正規ライセンスを受けてビジネスしてきました。長年培ってきた信頼関係と、電子書籍展開のパートナーであるボイジャーさんの技術提供も頂き、今年2月に雑誌『月刊コロコロコミック』(コロコロ)をBinBを使って無料配信することになったのです。

 コロコロをはじめ、日本のマンガ作品が無料で読める「無限誌」は、2月に始まったばかりです。掲載作品(話数単位)は3カ月間無料で閲覧でき、それ以降は電子版で単行本を購入頂く形になります。

―― 日本でいう「裏サンデー」と似たモデルですね。ちなみに現在のページビューはどのくらいでしょうか? また、有料版への誘導には手応えはいかがでしょう。

 1日当たり1万PV前後です。日本に比べて人口が少ないので、順当な数字だと言えます。スタート間もないため、有料の電子単行本への誘導はまだ行えておらず、現在のところ紙の単行本への誘導に留まっています。まずは電子ブックの読み方に慣れてもらい、その楽しみ方に親しんでもらう段階だと考えています。

 弊社では「Fashion365」という女性誌と連動したECサイトも運営しているのですが、そのノウハウを無限誌でも活用していくつもりで、来年を目処に課金システムも整えていく予定です。

 それと平行し、今年年末までに、弊社からの刊行物は紙と電子の同時刊行を行える体制を整えます。この辺りは非常に大切な取り組みなので、社内教育も含めてしっかりと取り組んでいきたいと考えています。

―― なるほど。しかしなぜBinBだったのでしょうか? 台湾にもローカルのソリューションはあったと思いますが、なぜ日本のボイジャーをパートナーに選んだのですか?

インタビューを行ったボイジャーにて代表取締役社長の鎌田純子さんと インタビューを行ったボイジャーにて代表取締役社長の鎌田純子さんと

 台湾でソリューションを持つのは、通信キャリアやIT企業となりますが、彼らの目的は電子書籍を売ることではないんですね。通信の契約を取ること、ハードウェアの購入につながることが目的で、本を読んでもらうこと、買ってもらうことを目的とする出版社とはゴールが異なります。そうした差異は、サービスやソリューションのさまざまな部分で「ちょっと違う」と感じてしまうポイントとして現れます。

 したがって、わたしは台湾に限らず広く世界中からソリューションを探しました。そんな中ボイジャーとBinBに出会ったんです。アプリをインストールすることなく、使い慣れたブラウザで直接読むことができるシンプルさは台湾のユーザーに受け入れられると確信しました。UIの部分などでローカライズの調整は必要でしたが、BinBは最初から多言語対応していたのも魅力でした。

―― ボイジャーは講談社はじめ電子化を通じて日本の出版社と長年築いてきた関係もあります。それも今回のBinB採用を後押しした部分がありますか?

 その通りですね。無限誌をはじめ弊社の電子書籍の取り組みは、ビジネスだけではなく一緒に市場を作っていくんだというビジョンの共有が不可欠です。そんな背景もあり、ボイジャーの鎌田さん・萩野さんのこれまでの歩みや、お考えに深く共鳴しています。先にお話ししたコロコロ電子版の配信許諾を得る過程でも、BinBを選定したことは大きな評価ポイントだったと思いますね。

出版業が消費者に与えている価値 その本質をこれからも届けたい

―― 最後に、少し失礼な質問かもしれませんが、老舗かつ大手の出版社を率いる黄さんが、電子書籍に対してそれほど前向きに取り組んでいるのは何故なのでしょうか? また、いま抱えている課題を乗り越えるためには何が必要なのでしょうか?

 わたし自身留学をしていませんし、IT産業で働いた経験もありません。小さなときから家族で出版の仕事をして、大学卒業後もこの会社で働いてきました。ただ、祖父や父からは「常に本質に立ち返って考えなさい」と教えられて育ちました。

 出版業が消費者に与えている価値とは何でしょう? 情報・コンテンツを提供することですよね。紙でも電子でも、その本質は変わりません。情報が伝達されるプラットフォームが紙からスマホに変わり、移動中でも情報を取得できるようになっただけです。だから、わたしはその本質をこれからもちゃんとお客さまに届けられるよう努めていきたいです。

 そのために最も必要なものは何か? と問われれば、わたしは「人」だと思います。

 技術やシステム、さまざまな条件は粘り強く取り組めば解決できます。ただ、そのためには、会社・組織の中にいるわたしのような経営者と、社員が同じビジョンを持ち、本質を実現すべく取り組んでいくことが不可欠です。そのために、わたしは社員たちとこれからも直接、オープンに対話を重ねていきます。

―― なるほど、よく分かりました。環境の違いはありますが、日本の電子書籍を巡る状況を見通すためにも、とても参考になるお話だったと思います。本日はありがとうございました。

インタビュワー:まつもとあつし

まつもとあつし

 ジャーナリスト・プロデューサー。ASCII.jpにて「メディア維新を行く」ダ・ヴィンチ電子部にて「電子書籍最前線」連載中。著書に『スマート読書入門』(技術評論社)、『スマートデバイスが生む商機』(インプレスジャパン)『生き残るメディア死ぬメディア』『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(いずれもアスキー新書)『コンテンツビジネス・デジタルシフト―映像の新しい消費形態』(NTT出版)など。

 取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進めている。DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士。Twitterのアカウントは@a_matsumoto


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