インタビュー
» 2015年04月30日 06時30分 UPDATE

安倍晋三の「A」はアドルフ・ヒトラーの「A」 芥川賞作家の野心作

あからさまにモデルが特定できる挑戦的なタイトルと、タイトル以上に過激な内容が、昨年文芸誌上で発表されて以来大きな話題を呼んでいる『宰相A』(田中慎弥)。田中さんにお聞きしました。

[新刊JP]
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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』! 今回は、2月に新刊『宰相A』(新潮社/刊)を刊行した田中慎弥さんです。

 小説家の「T」が迷い込んだパラレルワールドの日本と、日本人を差し置いてその地を支配するアングロサクソン。そして首相の名前は「A」……。

 あからさまにモデルが特定できる挑戦的なタイトルと、タイトル以上に過激な内容が、昨年文芸誌上で発表されて以来大きな話題を呼んでいるこの作品はどのように構想され、書き上げられていったのでしょうか?

『宰相A』に映し出される戦後日本、そして現代日本

田中慎弥さん 田中慎弥さん

―― 田中さんの新刊『宰相A』についてお話を伺えればと思います。以前、他媒体のインタビューで田中さんが小説の書き方についてお話されていて、「構想を固めてから書く」というやり方ではなく、一行一行手探りで書くということをおっしゃっているのを読んだのですが、今回の作品もこのやり方で執筆されたのでしょうか。

田中 基本的にはそうなのですが、今回の場合は極端な世界を書いたので、ある程度外枠は決めました。そこのところは今までの作品とやり方が違っているかもしれません。

 ただ、書き始めた後はいつものように一行一行でしたね。

―― 『宰相A』の「A」はやはり…

田中 「安倍晋三」の「A」なのですが、もう1つ裏テーマのような感じでアドルフ・ヒトラーの「A」という意味合いもあります。「A」の演説の時の仕草などはヒトラーの仕草をちょっと盛り込んでみたりもしました。まあ、でも安倍さんですよ。

―― 確かに、「A」の見た目の描写を読むと、安倍首相ともヒトラーとも取れました。

田中 それはもう、意識して書きましたからね。単純にあの二人の顔が似ているなというのは以前から思っていて、最後まで「A」に口ひげを生やそうかと考えていたのですが、それはさすがにやりすぎかなと思って仕草だけにしました。

―― 先ほどおっしゃった「極端な世界」というのが何やら不穏です。日本の国土でありながらアングロサクソン系の人種に支配され、英語が話されている。もともとの日本人は「旧日本人」と呼ばれ、スラム街めいた「居住区」に追いやられて暮らしている一方で、アングロサクソンではない「旧日本人」の「A」が対外的なかいらいのように首相を務めている。この設定はフィクションとはいえ、社会への強い問題意識を感じます。

田中 タイトルがタイトルですからね。当然問題意識はあるのですが、それは社会に何かを問うということではなくて、「私には今の日本、あるいは戦後の日本全体がこう見える」というものを極端な形で提示したものです。だから、「社会と切り結ぶ」というよりは寓話に近い。

 そういう意味では、この小説を読んでくれた方の目に今の日本がどう映るのかなという興味はありますね。

―― 社会に対する積極的なメッセージはないにしても、このような問題意識をうかがわせる作品を書かれたのは初めてではないですか?

田中 そうかもしれません。ただ、僕は今の首相と同じで下関が地元ですから、子どものころから、例えば今の首相のお父さん(故・安倍晋太郎氏)も首相候補と言われた政治家でしたから、政治的な匂いは感じていました。

 そういう経験を小説の形で出すとどうなるのかと考えた時、小説を政治と対峙させて何かを訴えかけるというのではないにしても、政治を小説の側に引きずり込んで1つの作品にするというのは、案外現代の他の作家はやっていないんじゃないかと思ったんです。

集団になると暴力的になる恐ろしさ

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―― 田中さんの作品について語られる時にキーワードとしてよく使われるのが「暴力」です。『宰相A』でも「暴力」は扱われているのですが、「暴力そのもの」よりも「暴力が生まれる背景」や「暴力に至るまでの群衆行動」が強調されているように思いました。

田中 確かに、これまで暴力を書く時は、その背景や結果ではなく暴力そのものを独立して書くことが多かったと思います。

 ただ、この作品に関しては、肉体的な暴力であれ社会システム的な暴力であれ集団になると人間の暴力的な面が顔を出すこと、それが国家という規模になってもそうなってしまうことは書かないといけないとは思っていました。

 だから、人間の群衆心理も含めて、暴力がどう発生し、その結果どうなるかというところは、作品を成立させるためにも有機的に書く必要があったんです。

―― 特に生々しかったのは、「居住区」に押し込められた「旧日本人」たちの鬱憤(うっぷん)が溜まって爆発するまでの過程です。

田中 私自身は殴り合いのケンカをするわけではないですから想像するしかないのですが、普段は全然暴力的ではないのに、みんなと一緒になると暴力的になるという恐ろしさですよね。

 語り手の「T」は一人で「宰相A」の世界に迷い込んでいますから、その世界の中では支配層のアングロサクソンでもなく、「居住区」の「旧日本人」でもない、どの集団にも属さない一個人です。その一個人が、一致した価値観を持つ集団とぶつかり合い、拷問されるところまで行ってしまう。そういう「共同体対個人」という構図もこの作品にはあります。

―― 「性」の扱われ方も滑稽で独特でした。これにはどのような狙いがあったのでしょうか。

田中 車の中の場面ですよね。全体を通してシリアスな話なので、橋の上に停められた車の中で「T」がセックスをするあの場面だけは滑稽に書こうというのはありました。

 当人同士は一生懸命でも、その姿が傍から見るとおかしく見えるということはあるわけで、その一番極端な例が「性」だと思うんです。性っていうのは日常的で人間的であると同時に、傍から見ると笑えるものでもある。

 そのおかしさを表現できるのではないかと思って、あの場面は会話だけで書いています。

―― 作中で「A」は実際には登場しないものの、その存在感はやはり際立っていますね。

田中 体が弱いというところが現実の安倍さんと重なってしまうのですが、「A」は周りがみんなアングロサクソンの日本で、たった一人宰相に祭り上げられている弱い存在として書いています。語り手の「T」からしたら映像でしか見ることのできないところにいて、非常にか弱いにもかかわらず絶対的な存在として日本に君臨しているという「A」を書きたかったんです。

―― 「A」の身体的な特徴である「巨大な局部」は怪物的で、どこかガルシア=マルケスの『族長の秋』に登場する、大きな睾丸を持つ独裁者を思わせます。

田中 『族長の秋』という発想はなかったですね。独立国家でありながら、何か大事なエネルギーを抜かれている日本という国、それと、男が作り上げている現代に対して「男ってそんなに立派ですか」という自分なりの見方を、「A」の大きくはあっても柔らかいままの局部で表したつもりです。

「表現の自由」小説家として感じること

宰相A 宰相A

―― 主人公の「T」は小説家ですから、これは当然田中さんご自身だと読めます。作中で「T」はどんな事態に巻き込まれても、小説を書くために必要な「紙と鉛筆」を求めるのですが、田中さんにもこういった感覚はありますか?

田中 作家というのは結局、文章を書くのが一番大事なことです。たとえ、「小説以上に大事なものがあるだろう」「紙と鉛筆なんて言っている場合じゃないだろう」という状況であっても、作家なんだから小説を書かないといけないし、誰もそれについては手助けをしてくれないというのは私も「T」も同じですよね。

 これは「表現の自由」や「言論の自由」を守らないといけないということとは別問題で、単に“メシのタネ”として、生きていくために書かなければいけないので、それはもうどんな状況であっても書くということです。

―― 「表現の自由」というお話が出ましたが、作家として活動されていて「表現の自由」や「言論の自由」が脅かされていると感じることはありますか?「T」が迷い込んだ世界では、小説も含めた芸術活動から自由が奪われ、認可制になってしまっていますが……。

田中 「シャルリエブド」の一件があって以来、「表現の自由」についてしきりに議論されているのは認識していますし、個人的には表現にも言論にもある程度の制約はもともとあるものだと思っています。その制約についての自分の意識が、何か社会的な抑圧によって今までとは違ったものになってきているという実感は今のところありません。

 ただ、こういうことは「実感できた時」にはもう遅いですよね。

 少し前に、爆笑問題がNHKで漫才ができないということがあって、個人的には“政治ネタとして単にキツすぎたんだろう”という感想だったのですが、じゃあ爆笑問題のネタをボツにするという判断が今までと同じ価値観でもって下されたのかと考えると、どうもそうではないような気がしています。本当にこのままで大丈夫なのかなとは思いますね。

 表現の枠が狭まっているという実感はないにしても、そういうことをまったく感じていないわけではないからこそ『宰相A』はこういう小説になったのかもしれません。小説の中のどこにそれが出てきているかというのはまだはっきりとは分からないのですが。

―― 人生に影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただけますか。

田中 影響を受けたということでいえば、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という随筆です。谷崎は小説だけでなく随筆にも耽美的で芸術至上主義的なところが端的に表れています。善悪や倫理ではなくて、美しいことが一番だという価値観もあるんだなということをこの作品で見せつけられましたね。

 川端康成の『雪国』も影響を受けたといえるかもしれません。最近自分の書く文章のセンテンスが徐々に短くなってきているのですが、これは『雪国』の影響が今になって出てきたのかなと思うことがあります。

 最後は『ジャックと豆の木』です。最後にジャックが豆の木を切り倒したことで、雲の上に住んでいた巨人が地上に落ちて死んでしまうのですが、この話が好きで子どもの頃からよく読み聞かせてもらっていましたし自分でも読んでいましたから、どこかで潜在的に影響を受けていると思います。

―― 最近の読書の傾向はどうなっていますか?

田中 傾向としては古いものが多いですね。コーマック・マッカーシーなんかを読んでいると、荒野をさすらって時々人を殺す、みたいな話が短くて切れのある文体でぽつぽつと出てきて切り替わる。こういう書き方もあるんだなと思いました

―― “巨匠”と呼ばれるような作家の本を読むことが多いんですか?

田中 マッカーシーの本ばかり読んでいるわけではなくて、いろいろ読んでいます。最近だと中村文則さんの『教団X』を読んだのですが、もう背中が遠くなってしまって追いつけないという感じですよね。この間ご本人にも言いましたけど。

―― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをいただければと思います。

田中 この小説を読んで笑ってすませられますか? それとも笑えないですか? ということですね。今の日本に住んでいるという実感をどのようにお持ちなのか。この小説を笑えないならそれはすごく怖いことですよ、と。

読者からの質問コーナー

―― 小説を書き始めたころと今とで変わったこと、逆に変わらなかったことをそれぞれお答えください(20代女性)

田中 変わっていないのは、とにかく毎日書くということですね。変わったことは、インタビューでもお話したようにワンセンテンスの長さです。以前は比較的長かったのですが、だんだん短くなってきています。

―― 芥川賞を同時受賞した円城塔さんと飲みに行くとしたらどうしますか?(20代女性)

田中 円城さん、お酒飲むんですかね(笑)。もし行ったとしたら円城さんは頭がいいから難しいお話になりそうですね。それを私がずっと聞くっていう。

―― 今日の気分を漢字一文字で表すと何ですか?(20代女性)

田中 今日の気分ですか? 割と明るい気分なので「明」にしておきましょうか。いい天気ですし。

―― 自作で一番気に入ってる作品は何ですか?(20代男性)

田中 もちろん全部大事で、それぞれに長所と短所があるのですが、今考えるとデビュー作の『冷たい水の羊』には今の作品につながる色々な要素が含まれていたと思います。

取材後記

 文学に疎くても、政治に興味がなくても、一読すればこの作品が「何かとてもヤバいもの」を表現していることがわかるはずだ。そして、その「ヤバいもの」とは、まぎれもない、私たちが住む日本なのである。

 「この小説を読んで笑ってすませられますか?それとも笑えないですか?」というメッセージをくれた田中さん。個人的には、やはり『宰相A』で描かれた日本を「単なるパラレルワールド」と片付けることも、この作品自体をいちフィクションとして消化して、次の読書を始めることもできそうになく、今回のインタビューが原稿としてまとまった今も、この作品を読み終えた時に感じた不気味な重苦しさが心に残っている。

(取材・記事/山田洋介)


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