インタビュー
» 2014年10月23日 10時43分 UPDATE

混迷の時代を表すキーワードは“透明な迷宮” 平野啓一郎インタビュー

平野啓一郎さんの新刊は短篇集『透明な迷宮』。この作品集の構想と執筆について、そして異色のデビュー歴について、平野さんにたっぷりとうかがいました。

[新刊JP]
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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』! 今回は、6月に発売された新刊『透明な迷宮』(新潮社/刊)が好評の、平野啓一郎さんが登場してくださいました。

 ここ数年、『ドーン』『空白を満たしなさい』など、長編の刊行が続いた平野さんですが、『透明な迷宮』は短編集。ある男女に起こった悲劇を描いた表題作に加えて、山陰地方の村で起こった不思議な出来事の顛末が語られる「消えた蜜蜂」、事故によって時間感覚が狂ってしまった男を描いた「Re:依田氏からの依頼」など、思わず日常を忘れて読みふけってしまう物語が連なっています。

 今回は、この作品集の構想と執筆について、そして異色のデビュー歴について、平野さんにたっぷりとうかがいました。

「透明になったからこそ、“先行き不透明”になっている」

―― 『透明な迷宮』は、コンセプチュアルでとても美しい作品集です。この本がどのように構想され、書き上げられていったのかというところからまずお聞きできればと思います。

平野 僕は自分の創作の時期を「第1期」「第2期」というように分けて考えているのですが、『決壊』(2008年、新潮社)から『空白を満たしなさい』(2012年、講談社)までの「第3期」でかなりボリュームのある長編を書いてきました。そこに取り組んでいる中で、「そろそろ短編を書きたいな」という気持ちが湧いてきたというのがまず1つあります。

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 それと、「第3期」は、「分人(一個人の中には幾つもの顔があり、場面や相手によって使い分けているが、“本当の自分”や“偽物の自分”という区別はなくどれも“本当の自分”とする考え方)」という概念をキーコンセプトになっている、人間のアイデンティティについての考え方や、自他のありかたについての考えを根本的に変えるような話が多かったので、読者を説得するような仕上げ方をする必要がありました。それもあって緻密に作り込んでいくような書き方をしていたのですが、『空白を満たしなさい』で「第3期」に一区切りついたことで、もう少し文学的なイマジネーションを自由に膨らませて、読者がつかのま非日常を体験できるような作品を書いてみたいと思うようになりました。

 ただ、そういう非日常性ですとか幻想性というのを長編で扱おうとすると大掛かりになってしまいます。短編集という形をとったのはそういう理由もあります。

―― それぞれの作品に核になるアイデアがあり、魅力的です。長編ではないにしても、構想にはかなり時間をかけられたのではないでしょうか。

平野 先ほどの話でいうところの「第2期」に、短編をたくさん書いていたのですが、思いついたアイデアをとにかくすぐに書いて、書いたさきから短編集にしていくというような感じで、一冊の短編集でも各短編の内容はバラバラでした。

 今回の本は、そうではなく「一冊の本」としてのまとまりを重視しています。1つのテーマが幾つかの作品にまたがっていることもありますし、2つの作品にそれぞれ環境も関係性も違う別の姉妹を登場させて、「じゃあ姉妹って何なのかな?」と考えてもらったり、一冊を通して何かを感じてもらえるように意識していますね。

 構想にかけた時間についてですが、僕はだいたい1つの作品を書いていると別の作品のアイデアが浮かんでくるんです。この本はそういった形で、ここ数年執筆の過程で出てきたアイデアが形になったものです。

―― 『透明な迷宮』とは、すごくイメージが膨らむタイトルです。このタイトルにはどんな思いが込められているのでしょうか。

平野 やはり「混迷の時代」という今の世の中への意識が根底にはあります。

 「先行き不透明」という言葉がよく使われますが、インターネットが登場したことで、人の心の中のことから地球の裏側で起こった戦争のことまで情報が入ってくるようになって、何もかもが「透明になった」とも言えると思うんです。ただ、透明になったからこそ、余計に先行きが不透明になっている、今の世の中はそういう不思議な時代だと思いますね。

 迷宮って、普通なら視野が限られているから脱け出しにくいものなのですが、透明で壁がまったく見えない迷宮もまた脱け出すことができません。今回の本はそういう「透明がゆえに不透明」という逆説的なイメージを使って、今の時代の雰囲気を反映させたものになったかなと思っています。

―― 今おっしゃった意味合いとは別に、表題作の「透明な迷宮」で、登場人物の男女が、彼らを襲った悲劇の翌朝、たった数時間を別々に過ごしたばかりに、「透明な壁」によって決定的に隔てられてしまうという場面は非常に印象的でした。

平野 男女関係に限らず、人間関係全般にいえることですが、「あの人とはもっと仲良くなっていてもよかったはずなのに、結局そうはならずに終わってしまったな」ということがありますよね。もっと親しい関係になりたかったのに、ちょっとした回り道をしている間に全然違うところまで隔てられてしまったり。

 自分では相手と近いところにいると思っていたけど、実際は透明な壁が間にあったんじゃないか、というところから発想した場面です。

―― 「ハワイに捜しに来た男」はほかの作品とは少し毛色が違い、アクセントになっていました。こちらは文芸誌に発表した作品ではないんですね。

平野 「タカ・イシイギャラリー」っていう大きな写真ギャラリーが、写真家の森山大道さんの『ハワイ』という写真集とコラボレーションした企画があって、「ハワイに捜しに来た男」はその企画向けに書いた作品ですね。

 『ハワイ』の写真はいろいろな場所で撮られているんですけど、どれも視点が一人称で、それって撮影している森山さんが被写体を探している視点のように思えました。そしてそれだけではなく、被写体を探しつつ、その被写体に反応する自分を探しているようなところもある。写真というのはある意味で自分探しみたいなところもあるんだなと、写真集を眺めながら考えていたらこの作品のアイデアが思い浮かんだ記憶があります。

なぜ、あの瞬間だったのか? 震災という「不条理」

―― どの作品からも、ある種の不条理さが見て取れたのですが、その辺りについてはいかがでしょうか。

平野 半分は今の自分の心境が反映されている気がします。一番大きな不条理と言いますか、うまく自分の中で納得できないことといったら、やはり震災です。震災が来るということ自体は、科学的には分かっていたわけですが、なぜあの瞬間だったのか? 例えば一時間ずれていればある人は死ななかったでしょうし、逆に今生きている人は死んでいたかもしれません。永遠に答えの出ない問いではあるのですが、そういう部分は最後まで自分の中に残るひっかかりでした。

 それと、テクノロジーの分野を中心に、進展のスピードが速すぎて、人生の中で一個人がコントロールできない部分が大きくなっている気がするというのもありますね。

 かつての不条理ものの小説のように、持っている情報量が少なすぎて起きていることが分からないというのではなくて、情報はきちんと持っていて起きていることも分かっているんだけど、それにどう対処すればいいかというと結局何もできない。こういうタイプの不条理さの感覚がこの数年ずっとあって、それぞれの作品に形は違えど反映されていると思います。

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―― そういった感覚が一番よく現れているのは、主人公の時間感覚が周りからどんどんずれていってしまうという「Re:依田氏からの依頼」ではないでしょうか。

平野 そうですね。楽しい時間はすぐに過ぎてしまい、嫌な時間は長く感じるというのはどんな人も同じだと思うのですが、そういう体感している時間の違いが人間同士のコミュニケーションで大きなストレスになりうるんじゃないかと考えたことがこの作品につながりました。

 また震災の話になりますが、東京の新聞記者の方が被災地の仮設住宅に行って、そこに住んでいる人に取材をする場面を見ても、普段東京で仕事をしていて、その日だけ取材でやってきてすぐに帰っていく人の時間感覚と、仮設住宅で生活している人とそれとでは明らかにズレがあります。決してコミュニケーションがうまくいっていないということではなくて、会話の間だとか結論に至るまでの道のりといったところに見られるズレです。

 こういうところに目をつけたのですが、リアリズムのやり方で繊細に書いても分かりにくいので、この作品では幻想的に誇張して書いています。

―― 震災のお話の後ではごく小さなことですが、地元から東京に出てきた時にそういった時間感覚の違いに戸惑うことがありました。

平野 東京は異常だと思います。僕は京都が長かったのですが、京都から東京に移ってきた時は本当に疲れました。何か見えないものに巻き込まれている感覚と言いますか、それは地方よりも東京の方がはるかに強いです。

―― 地方のお話が出ましたが、「family affair」は方言が鮮烈ですね。『決壊』もそうなのですが、平野さんの方言の文章からは、地元への愛着が感じられます。

平野 これは僕が育った北九州の方言ですね。登場人物も僕の地元にいるような人ばかりです。最近、この作品みたいに拳銃が見つかる事件があったりもしました。

 アンビバレントなんですけど、住んでいた当時は北九州が本当に嫌いだったんですよ。でも、自分の「分人」の一つとして、北九州を故郷としている面も確かにあります。時々、批評家がヤンキー文化の話をしているのを見ると、ヤンキーだらけの土地で育った僕としては「オリエンタリズムじゃないのか?」といいたくなったりしますしね。「フィールドワークが足らんな」と(笑)。

異例の「投稿デビュー」 そのいきさつとは

―― 平野さんといえば、非常に洗練された文体が知られています。この文体はどのようにして出来上がっていったのでしょうか?

平野 これはなかなか難しい問題ですが、基本的にはとにかくたくさんの本を読んできたというのがあります。その上で、自分の性に合う文体の作家のものは集中的に読みました。

 書くことについては、例えば「ここまではいいけど、これ以上書くと安っぽくなってしまうかな?」というような、一文一文のジャッジは本当に微妙なところで、センスによるところも大きいと思います。初稿で書いた内容を「ここまで書くとちょっと」と思って少しだけ引っ込めたり削ったりといった調整を僕もずっとやってきています。

 それと、日本語は特に助詞と助動詞の使い方について、英語やフランス語よりも感覚に任される部分が大きいので、名詞や動詞のボキャブラリーの選択と同じくらい、助詞と助動詞の選択も大事だと思っています。もし、読者の方が僕の文体を洗練されていると思ってくださったのなら、そういった部分がうまくできていたのかもしれません。

―― かなり若くしてデビューされた平野さんですが、作家になろうと思ったのはいつごろのことなのでしょうか。

平野 作家になろうと思ったのは、大学生になってからです。高校生のころから本は好きでしたし、小説を書いたりもしていたのですが、本当に作家になれるとは思っていませんでした。それは能力的にもそうですし、どうすればなれるか分からなかったんです。だから、当時は漠然とあこがれていただけでした。

 大学生になってから、真剣に作家になりたいと考え始めたのですが、僕は大学が京都だったんです。東京にいれば、例えば友達の家族に出版社の人がいるとか、大学の先生が文芸評論家だとか、そういう接点がありそうなのですが、京都にはそういうのがまったくなくて、あいかわらず作家になるにはどうすればいいのか分かりませんでした。

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―― 新人賞ではなく投稿でのデビューというのもそういった事情が関係していたのでしょうか。

平野 当時の僕は、ミルチャ・エリアーデやジョルジュ・バタイユにすごく影響されていて、テキストというものに対して、一種の「聖性体験」の場というか、宗教理論と小説理論を重ね合わせたイメージを持っていました。それと同時に、舞城王太郎さんみたいな覆面作家としてやっていきたいという思いもあって、小説を書く上でのコンセプトとして「どこからともなくあるテキストが出現して、それを読んだ人が日常を忘れるような強烈な体験をする」というのがいいなと思っていたんです。

 大学生になると、新人賞を受賞して作家としてデビューするという方法は知っていたのですが、今お話した自分のコンセプトにはちょっとそぐわないなというのがありました。だから、当時の「新潮」の編集長に原稿を読んでもらえるよう手紙を書いたんです。

 ただ、それでうまくデビューできたものの、「覆面作家」という夢は早々に破れてしまいまして(笑)。

―― やはり、顔は出していた方が何かと都合がいいのでしょうか。

平野 小説家の世界に入ってみて、やっぱり無理だと思ったんです。舞城さんのように覆面作家を貫いている方もいますが、自分のコンセプトに即していえば、現実としてある人間が書いていることが分かりきっているのに、その部分を隠して匿名性を保ち続けることにどれだけ意味があるのかなと疑問を持ち始めてしまった。

 それと、僕はおしゃべりですからね(笑)。こうしてインタビューを受けたりしながら、顔を出して作家活動をしている方が、結局は性に合っている気がします。

―― 平野さんが人生に影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただければと思います。

平野 一冊は、三島由紀夫の『金閣寺』で、この作品を通して僕は小説というものと出会ったと言いますか、それまでにも小説を読んではいたのですが、それらとはまったく違う体験でした。

 それから、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記(ふうてんろうじんにっき)』が二冊目ですね。少し前に文芸誌の「新潮」が、この作品を谷崎本人が朗読しているCD音源を出したのですが、その朗読がすごくベタッとした朗読で、病院に行った話も、首を牽引した話も、息子の嫁の足を舐めた話も、全部同じトーンで、淡々と抑揚をつけずに読んでいる。

 初期の谷崎って、「変態性」をいかにも変態らしく表現するというか、「自分はこんなに人と違う」というように、ある意味で特権的に書いていたところがありました。でも、中期以降は、変態的なことを「それも人間の姿じゃないか」というように、普通のこととして書いていて、それが谷崎が大作家になっていったきっかけではないかという気がしたんです。

 今回の『透明な迷宮』に入っている「火色の琥珀」という作品には、人とは違った性癖を持った男が出てくるのですが、その性癖についてできるだけ普通のことのように書いたのは、『瘋癲老人日記』を、朗読を聴きつつ読み返したことがきっかけだったと思います。

―― 三冊目はいかがですか?

平野 最後はエリアーデの『妖精たちの夜』です。

 実は、エリアーデ自体が僕の人生を変えたところがあって、僕が大学に入ったころ、まだポストモダニズムが流行っていて、みんな現代思想の本ばかり読んでいたんです。もちろん、僕も現代思想に影響を受けた面はたくさんあるのですが、こと「文学を読む」ということに関しては、現代思想の方面からのアプローチは好きではありませんでした。結局、思想の材料として文学を使っているということであって、それを経由して文学を読んでも面白くなかった。

 それと、現代思想の本を幾ら読んでも、小説を書ける気がしなかったんですよ。実際に周りは「小説なんて書けるわけがない」とか、「もう文学は終わった」とか言う人ばかりでしたし。

 そういったことにうんざりしていたころ、何の気なしに読み始めたエリアーデの論文集がすごく面白くて、そこから文化人類学の方に興味を持つようになりました。そうなると、神話や物語に触れるようになるのですが、そういうものってイマジネーションの宝庫なんです。フーコーの本を読んでも小説を書ける気がしませんでしたが、エリアーデの本は一冊読み終えるまでに3つも4つも話を思いつく。こういう本を読んでいけば、小説が書けるかもしれないなと思えました。

 『妖精たちの夜』は、小説家としてのエリアーデの最高傑作だと思っています。本人は「歴史のテロ」といっているのですが、歴史というのは個人の生活にある種の暴力を振るいます。その暴力に個人はどのように抵抗するかというのを小説で体現したような作品です。

―― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いできればと思います。

平野 しばらく長い本ばかり書いていましたが、これは短いですし内容豊富です。

 愛を求めて孤独にさまよう人たちの話なので、共感してもらえる部分はいろいろとあるのではないかと思います。難しい話ではないので、気楽に楽しんでいただけたらありがたいですね。

(新刊JP編集部)

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