「わたしのマーガレット展」にみるO2O施策――集英社はiBeaconをどう使った?

現在開催中の「わたしのマーガレット展〜マーガレット・別冊マーガレット 少女まんがの半世紀〜」。国内電子書籍業界では初となるiBeaconを活用したイベントの狙いについて、集英社に聞いた。

» 2014年10月17日 11時30分 公開
[西尾泰三,eBook USER]

 O2O(Online to Offline)――数年前からマーケティングの世界で盛んに用いられるようになったこの用語は、消費行動におけるオンラインとオフラインの連携を強化しようとする取り組みを指して使われることが多い。過去にあった近しい用語で言えば、クリック・アンド・モルタルなどがあったことをご記憶の方も多いだろう。

 電子書籍の領域でも、リアルの書店などと連携することを指して使われることが多かったが、技術の進化とトレンドの変化が、新たな活用に結びついている。

 技術面でのトピックは、2013年9月にAppleのiOS7の新機能として追加された「iBeacon」。iPhone 5sに搭載された近距離無線通信技術だ。一方、コンテンツ産業の中で気を吐くのがライブイベント系。この両方を組み合わせたのが、9月20日から東京・六本木ヒルズの森アーツギャラリーで開催されている「わたしのマーガレット展〜マーガレット・別冊マーガレット 少女まんがの半世紀〜」だ。

わたしのマーガレット展 Webサイト

 「わたしのマーガレット展」は、国内電子書籍業界としては初めて、このiBeaconを活用したイベントである。ここでは、集英社デジタル事業部の岡本正史・デジタル事業課副課長、同社に電子書籍ソリューションを提供し、今イベントでもiBeaconを活用するシステム構築を手掛けているACCESSクラウドサービス事業部デジタルパブリッシング営業担当の柳井健一氏にイベントでのiBeacon活用の狙いを聞いた。

コンテンツ産業とiBeaconの可能性

集英社デジタル事業部の岡本正史・デジタル事業課副課長

―― 集英社のデジタル戦略にはACCESSの電子書籍ソリューションが活用されています。「ジャンプBOOKストア!」あるいは最近リリースされた「少年ジャンプ+」、そして「マーガレットBOOKストア!」などにACCESSの「PUBLUS」が採用されています。今回のイベントでiBeaconを活用した施策を取ろうというのはどういった流れから?

岡本 「わたしのマーガレット展」のようなイベントは、コンテンツ事業部という部署が中心となり、そこにマーガレット編集部や別冊マーガレット編集部など、コミックスの担当部門が関わって運営する形になっています。

 約1カ月にわたって長期間開催するイベントですし、何か新しいことができないかと話し合っていたところ、ちょうどACCESSさんからiBeaconを使った企画の提案をいただいて、進めようということになりました。

ACCESSクラウドサービス事業部デジタルパブリッシング営業担当の柳井健一氏

柳井 ACCESSでは、PUBLUSに位置情報と連動して、特定の場所でのみコンテンツを配信できる「ACCESS Beacon Framework(ABF)」を2014年5月にリリースしました。当初iOSのみでのリリースでしたが、7月にはAndroid版にも対応しています。これが活用できるのではないかと提案させていただいたのです。

―― ABFでは具体的にどのようなことが実現できるのでしょうか。

柳井 ABFの機能は、大別するとBeaconを使うものと使わないものに分けられます。Beaconを使わない場合、GPS情報を用い、所定のエリア内にいるときだけ特定のコンテンツがダウンロードできるもの。Beaconを使うものは、「Beaconモジュール」と呼ばれる信号を発する端末を設置し、対応スマートフォンがそのモジュールの近くまで来くると、プッシュ型でコンテンツを配信するというものです。

 Beaconモジュール自体は、ボタン電池で動作するごく小さな、それこそポスターの裏に貼り付けておくことができるようなもので、単体の価格はそれほど高くはありません。モジュールで配信するコンテンツの書き換えなどは、PC上のABFの管理画面から行えます。今回のイベントに関しては、弊社としても初めての実践ということで、ぜひ一緒に何かやりたいというところがございましたので、いろいろとお手伝いもさせて頂きながら、対応しているところです。

展示会場だけでなく、会場近辺の書店3店舗にもBeaconモジュール

展示会場には池田理代子さんの永遠の名作『ベルサイユのばら』からオスカルとアンドレの等身大立像も(わたしのマーガレット展 Webサイトより)(C)池田理代子プロダクション

―― 今回の「わたしのマーガレット展」に関して言えば、どのような使われ方ですか。

岡本 まず、展示会場の出入り口にBeaconモジュールを設置してあり、展示会に入場、退場していただく際にコンテンツが届きます。コンテンツとしては、マーガレットBOOKストア!には、本棚の着せ替え機能があるのですが、この展示会だけの特別な本棚と、コミックスの試し読みです。

 また、会場近辺の書店3店舗にもご協力いただき、展示会のポスターを店内に貼らせていただいています。このポスターの近くやレジ付近などにBeaconモジュールが取り付けてあり、そばに行くと、スマートフォン用の壁紙とコミックスの試し読みを受け取ることができます。書店と会場で計4種類のコンテンツを受け取ることができます。

 このほか、Beaconを使わない、GPSを使った取り組みとして、六本木交差点を中心とする約300メートルのエリア内に入った端末に対して、展示会が開催中されているプッシュ通知する情報提供もしています。

アプリをインストールしている状態でBeaconモジュールの近くにいくとiOSではおなじみのプッシュ通知で告知される

―― Beaconをうまく使えば展示会場での動線の分析などもできそうですが、今回はそこまで踏み込んでいないんですね。ところで、コンテンツの受け取りにはマーガレットBOOKストア!アプリのインストールが前提となるんですよね?

岡本 そうですね。告知を受けられるのは、アプリがインストールされている端末だけになります。あくまでプロモーションですので、会員登録は特に必要ありません。とはいえ、壁紙はともかく、試し読みや着せ替え本棚はあくまでマーガレットBOOKストア!上で楽しめるコンテンツですから、スマートフォンにダウンロードしていただくことでより楽しんでいただける、というものになります。

―― 先ほど、ABFはiOSだけでなくAndroidにも対応済みとありましたが、今回の取り組みでも両OSに対応しているのでしょうか。

岡本 いえ、iOS端末を持っている方のみとなります。ABFはAndroidにもすでに対応していますが、対応しているのがAndroid 4.3以降、推奨が4.4以降とかなり最近の端末をお持ちの方だけが対象となってしまいます。利用者の方によっては、ご自分の利用するスマートフォンについて、そうした細かなバージョンまで把握できていらっしゃらない方がいることも想定され、現場の混乱も懸念されるので、今回の企画ではiOSのみの対応としました。ただし、ユーザーケアのために、特典壁紙をダウンロードできるウェブサイトに誘導するためのチラシも作成しています。

書店に足を運んでもらうツールのひとつとして、デジタルを活用したい

―― iBeaconを使った大々的な取り組みは、電子書籍業界としては恐らく国内初といえるかと思います。この狙いはどういったところにあるのでしょうか。

岡本 弊社では、位置情報連動のコンテンツ配信イベントとして、以前、「JOJO THE WORLD TOUR」という企画を開催しました。これは日本全国、各地域ごとに日程を区切って、特定の期間中はその地域にいる方だけが無料の試し読みコンテンツを受け取ることができるというものでした。場所と時間をあえて区切ることでライブ感を出し、よりユーザーに強くアピールしたいと考えたんです。企画は盛況で、インターネットにつながる場所のどこででも参加できる、という形よりも、長い期間にわたり、トータルではより多くのユーザーに興味をもってもらえそうだという感触もつかめてきました。

 その流れの中で、直営のストアや展覧会のようなものとうまくリンクしてより相乗効果を上げられないかと考えています。うちの中ですと、やっぱり紙の本の売り上げが非常に大きいので、そことうまくリンクできることが取り組みの基本的な背景ですね。

―― JOJO THE WORLD TOURはGPSとブラウザビューワを使ったものでしたね。ジャンプビクトリーカーニバルでも会場限定で試し読みの提供などをされていました。全国規模での展開、会場限定の短期間、そして「わたしのマーガレット展」のようにその中間に相当するようなさまざまな試行錯誤をされているんですね。

岡本 そうですね。一方で、以前、期間限定で「キングダム」を1巻〜10巻まで、無料で読めるというキャンペーンを実施したこともあります。実施前は、書店さんから「無料で読めると書店で売れなくなるじゃないか」というクレームが来ることを覚悟していたのですが、実はほとんど苦情はきませんでした。

―― 今回の取り組みでも書店連携が図られていますね。電子が紙の売り上げを棄損するという人はもはやいないかなと思いますが、書店との連携はどのように考えられていますか。

岡本 コミック販売の担当者を通じて、書店さんの声を聞くと、「お店にまで来てもらえれば、何かしら興味のあるものを手に取ってもらって、買って頂けるような商品展開はしているし、売れる商品をそろえている自信もある」とのことなんです。しかし、書店自体に足を運んでいただけなくなっていることが切実な悩みだそうなのです。

―― 大半の人は生活動線上の書店にしか行きませんし、地方ではネット書店の方が便利なこともありますからね。

岡本 そうなんです。ですから、きっかけは問わず、何か目的を持って書店に足を運んでいただける企画であればご協力いただけそうなんですね。

 今は電子書籍に限らず、例えばレンタルコミックスや漫画喫茶だったりと、途中までの本の入口って、本当にたくさんあるんですよね。だから、とにかく書店に足を運んでもらえるようにするために何ができるかということで、iBeaconのようにピンポイントに書店に行けば特典がもらえる、という形は有効だと思います。

展示会場近くの書店でプッシュ通知を受けアプリを起動すると特典コンテンツなどが受け取れる

―― これまでも書店ごとに、イラストカードなどを特典として配布したりすることはあったかと思いますが、そういったものとの違いは?

岡本 物理的にカードなどを配布するとなると、「この作品の最新刊を買った方にはこのカードを配布してください」などのお願いをして、書店の店員さんの手を煩わせなければなりません。とはいえ、店頭にただ設置して「ご自由にお持ちください」とすると、場合によっては手に取った人がその場に捨ててしまったり、あるいは一人の方が大量に持ち帰ってしまうようなことも考えられ、余計にお店に迷惑が掛かってしまうかもしれない。

 その点、ABFのような仕組みを使ったデジタルコンテンツの配布であれば、最初の段階でこそ、仕組みやコンテンツの受け取り方などをしっかりと説明する必要はありますが、一度浸透させることができれば、あとはお客さんが受け取りに来て、勝手に持ち帰れる特典になります。

 そのために書店へと足を運んでいただければ、店内で目についた本を買ってもらえる。書店もその自信があるという。そうやって出版物の流通量自体が増えてくれれば、出版社と書店がより良い関係を作れるのではないか、と思いますね。

―― この取り組みでほかに難しかった点はどのようなものがありましたか。

岡本 やはり、いかにアプリをインストールしてもらうか、ということですね。アプリをインストールしてもらえないことにはお知らせをすることもできませんので。

 これは単純にアプリの知名度を上げるという話だけではなく、例えば今回の「わたしのマーガレット展」では、来場者の方の年齢層は高く、50代くらいの方も数多くいらっしゃるだろうと想定しています。そうした方々の中には、例えばiPhoneを使っていても「iOSって何?」という方もいらっしゃると思うんです。そうした方にもきちんと特典を届けて、楽しんでいただけるようにするためには、説明文のようなものを用意しておく必要もあるだろうし、操作もできるだけシンプルにしなければいけないだろうと。

 ただ、こうした問題は実際にふたを開けてみないことには分からないことも多々あると思いますので、会場の様子などを見ながら柔軟に対応していく考えです。

―― iBeaconが発表されてから1年以上が経過しますが、今一つ、目立った事例が出てきていない気がします。今回、集英社で取り組まれる中で、何か手ごたえのようなものは感じていますか。

岡本 先ほどもお話しましたが、とりあえずは、書店に人を呼ぶ施策として今回実施をしています。実際の利用者の方がどのような導線で動いてくれたのか。例えば、もともとアプリを持っていて、展示会や書店に足を運んでくれたのか、展示会に来て、初めてアプリをインストールし、それから書店にも足を運ぶのか、または書店に行ってから展示会に来ているのか。そうした流れがいろいろと見えてくると思います。

 そうした流れが分かってくれば、今回はイベント会場でしたが、例えば書店の近くのカフェやレストランなどと連携することも考えられる。カフェで1〜5巻まで無料で試し読みができて、その後書店に行けば6〜10巻まで無料で読めます、11巻以降は買ってくださいね、のようなさまざまな企画も出てくるのではないかと考えています。

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