これからの時代を切り開ける人の条件――『嫌われる勇気』著者に聞く

自著『嫌われる勇気』で、嫌われる勇気の重要性を説く岸見一郎さん、古賀史健さん。今回は、本書の共著者の一人である古賀さんと編集を担当した柿内芳文さんに聞いた。

» 2014年05月08日 13時51分 公開
[新刊JP]
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 FacebookやLINEの台頭により、プライベートな領域があいまいになってきている時代にあって、たたかれないよう、嫌われないように他人の視線に気をつけている人は多いだろう。

 しかし、そんな潮流に逆らうように「人目を気にせず嫌われる道を行け」と説く異色の本『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎、古賀史健/著、ダイヤモンド社/刊)が22万部を突破するベストセラーになっている。

 「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない」など衝撃的な言葉が本文に並ぶが、その真意はどこにあるのだろうか。本書の共著者の一人である古賀史健さんと編集を担当した柿内芳文さんにお話を伺った。

他者の評価を気にせずに生きるには?

『嫌われる勇気』について語る古賀史健さん

―― 『嫌われる勇気』が大反響となっていますが、古賀さんにも読者の皆さんの声は届いていますか?

古賀 届いています。アドラーは100年ぐらい前の人ですが、人間が抱える普遍的な悩みは100年前でも変わらない。きっと、江戸時代の日本人も、中世の欧州人も、同じ悩みを抱えて生きていたのだと思います。

―― 他者の評価を気にかけずに生きるのは、とても難しいことだと思います。

古賀 例えばわたしも、原稿を編集者に見せて、褒めてもらえればうれしいですし、褒められなかったら悲しくなる。そういう意味での他者の声というのは、もちろん気にします。ですが、他者からの評価を軸にしていると、どんどん生き方が苦しくなってきます。

 では、なぜ他者からの評価を気にしてしまうのか。端的にいえば、自己受容ができてないからなんですね。自分にある程度の自信を持っていれば、他者の声や評価は気にならなくなるはずです。

 アドラー心理学でいう「自己受容」とは、長所や短所も含めたありのままの自分を受け入れるということ。例えば、「自分は100点満点で20点なのかもしれない」となったら、まずは「わたしは20点である」という事実を受け入れて、そこから出発しようという気持ちが大切になるんです。

―― 古賀さんがアドラー心理学と出会ったときに感じたことは?

古賀 アドラー心理学に触れたとき、最初に衝撃を受けたのは「記憶は自分の中でねつ造される」ということでした。ねつ造というとちょっと極端ですが、例えば友だちと話していて、お互いの記憶が食い違っていることって、よくありますよね。実は人間は、自分にとって都合のいい記憶を自分の中で勝手にでっち上げているんです。今の「目的」に沿って、過去の記憶は幾らでも塗り替えられる。これはアドラー心理学の根幹を成す「目的論」という考え方なのですが、非常に衝撃を受けました。

 その理屈で言うと、自分にトラウマ的な体験があったとしても、いまの目的を変えてしまえば、その記憶は楽しい記憶に変えたり、記憶そのものを忘れたりすることができます。それまで心理学や哲学の本を読んでいても、なかなかスパッといってくれる人がいませんでしたから、この考え方が自分の中で一番腑に落ちた感じがしましたね。

わたしたちは主観の中で生きている存在

―― タレントの伊集院光さんが立川談志さんの噺を聞いて「これはかなわない」と思って噺家をあきらめたというエピソードがあります。ところが、談志さんはそれを聞いて「最初から落語を辞めたかったんだよ。でもやってきたことを理由なく辞めるのは格好悪くてできない。そこに俺の噺を聞いて、理屈をつくったってわけだ」と答えたそうです。本書に出てくる哲人と青年の対話を読んで、このエピソードを思い出しました。

 人間は賢い生き物ですから、脳が幾らでも理由付けをしてくれますよね。それが分かっていれば、自分をポジティブに変えることも難しくはないと思います。

古賀 そうですね。わたしたちは主観でしか認識できません。ここにペットボトルがあっても、それは僕の脳で認識しているものであって、ほかの人がそれを認識しているかどうかは分からない。では、本当の客観とは何だろうか、ということが哲学の中で延々と議論されてきたんです。

 その中で、フッサールという哲学者は、客観なるものがあるかないかはいったん横に置いておいて(これを専門的には「エポケー」と言います)、自分たちは主観でしかものを眺められないというところから出発しようという議論をしています。これは「現象学」と呼ばれる学問になるのですが、現象学はアドラーに通じるものがあって、アドラーも世の中は主観でしか判断できない、だからこそ自分のものの見方を変えることで、世界を変えることができるというんです。そう考えると、すごく救いがありますよね。

柿内(担当編集) そのお話は、『嫌われる勇気』とすごく関係性がありますよね。「嫌われたくない」と思う裏側には、相手の主観と自分の主観を同一視してしまっているところがある。相手が何を思っているかなんて分かりっこないはずなのに、「相手はこう思っているに違いない!」と勝手に自分の主観で先回りして解釈してしまう。

 でも、例えば何か発言して「ダメだ」と批判を浴びたとしても、それはほとんど条件反射的に言っていることがほとんどで、言った本人もあまり深くは考えてないんですよ。次の瞬間には忘れている。しかし、言われた方はずっと覚えていて、つぎに何か発言しようというときには、勇気が出なくなってしまう。

―― なるほど。確かに一瞬頭に上るけれども、その数秒後にはもう別のことを考えているということは、個人の体験としても腑に落ちる話です。真面目に考えて批判している人はそういないですよね。

柿内 そうでしょうね。例えば元ライブドアの堀江貴文さんや投資家の瀧本哲史さんのような方々は「嫌われる勇気」を持っていると思います。彼らはどんどん自分の言いたいことを言うし、でも、しっかりと考えて批判してくる人にはちゃんと耳を傾けていますよね。

 自分に対するつまらない批判に囚われ過ぎると、自分の人生を自由にすることができない。他人の目を意識してしまうと、それがやりたいことの実現を阻む壁になってしまうので、割り切りが必要だと思います。

―― それができる人たちが、時代を引っ張っていくのでしょうね。

古賀 そうだと思います。結局、周囲の評価に軸を置いてしまうと、自由に振る舞えません。前例主義に捉われたり、過去の事例がないから無理だ、という話になってしまうと、新しいことはできませんよね。非難されたり、嫌われたりすることと、自分がやりたいことを天秤にかけたとき、どちらが重いか自分の中で考えないことには、新しい世の中を切り開くことは難しいと思います。

―― そうした考え方を身につけるためにも、この本の青年と哲人の対話を読むことはすごく大事だと思います。多くの人は青年の発言である「そんなこといわれても無理」「それは普通じゃない人だからできる」という考え方をしますよね。

古賀 読者の方が普通の一人称で書かれた本を読んだときよりも、読後感はすっきりすると思います。読者側の反論が書かれていますので。こういう形で、読者を代弁するような青年がその都度、哲人に突っ込みを入れていくことで、読者が青年と一緒に学びながら、一つ一つ納得して読み進めていただけるはずです。

―― 最後に、4月25日には『嫌われる勇気』のオーディオブック版が配信されますが、お聞きになった感想はいかがですか?

古賀 対話篇なので、会話がとても面白かったです。本当に舞台を見ているような感じがして、「これはオーディオブック向きの本でもあったんだ」と思いました。

―― 大変有意義なお話を聞けました。本日はありがとうございました。

【プロフィール】 古賀史健さん

フリーランスライター。1973年生まれ。書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、ビジネス書やノンフィクションで数多くのベストセラーを手掛ける。臨場感とリズム感あふれるインタビュー原稿にも定評があり、インタビュー集『16歳の教科書』シリーズは累計70万部を突破。20代の終わりにアドラー心理学と出会い、常識をくつがえすその思想に衝撃を受ける。その後何年にもわたり京都の岸見一郎氏を訪ね、アドラー心理学の本質について聞き出し、本書ではギリシア哲学の古典的手法である「対話篇」へと落とし込んだ。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』。

【プロフィール】 柿内芳文さん

1978年生まれ。2002年光文社に入社し、光文社新書編集部で『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉)などを編集。2010年星海社に移り「星海社新書」レーベルを立ち上げ、『武器としての決断思考』(瀧本哲史)などを編集。フリーランスとして『ゼロ』(堀江貴文)『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健共著)を編集したのち、2013年12月にコルクに入社。ツイッター@kakkyoshifumi


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