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» 2012年12月10日 10時54分 UPDATE

「新橋二丁目七番地」路上靴磨き40年 名物おばあちゃんの壮絶な半生

靴を磨いて40年、すべての世代の人にエールとなる名物おばあちゃんの半生と教えが書籍化。

[新刊JP]
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 新橋といえば古くから多くのサラリーマンで賑わう「サラリーマンの街」。

 その新橋の路上で、40年以上にわたり靴磨きを続けている名物女性がいる。

 中村幸子さん81歳がその人だ。戦後まもなく上京してからの彼女の壮絶な人生は、歌手・あさみちゆきさんのヒット曲「新橋二丁目七番地」のモデルにもなっている。

tnfigsj1.jpg 「新橋二丁目七番地」路上靴磨き40年 名物おばあちゃんの壮絶な半生

 中村さんが靴磨きを始めたのは40歳のとき時。それまで病弱な夫と5人の子どものために行商やリヤカーでの果物売りをして生計を立ててたてていたが、長年の肉体労働によって腰が曲がり、彼女の体は限界だった。

 それでも、一家には自分しか働き手はいない。リヤカー引きの果物売りから決別することを決意し、自分の靴さえろくに磨いたことのなかった中村さんは、この未体験の仕事に飛び込んだ。

 しかし、まったくの初心者である中村さんにすぐお客 がつくほど、靴磨きは甘い世界ではなかった。新人への露骨ないじめによって日中の仕事から締め出されたり、お金をせびりにきたホームレスに暴力を受けたこ ともあった。ようやく地べたに座ることにも慣れ、毎日新橋へ通う日々が続いていたある日、直腸がんを患い、入院して手術を受けることになったときも、新橋 の常連客のことが頭から離れず、自分の意思で退院したこともあった。

 辛い環境や苦しい生活、酷暑や極寒に耐え、中村さんは靴磨きを続けてきた。もちろん、家族を養わなければならないという義務感は大きかったはずだが、そ れだけではこの過酷な仕事を40年も続けてこられなかっただろう。頼りにしてくれる常連客や同僚の靴磨きからの励まし、高齢になっても仕事があるという喜 びが、彼女をいままで後押ししてきたのだ。

 「おばさんがいないと困るよ」といってくれる常連客がいるからこそ、体がきつくても新橋に通い続けるのだと中村さんは言う。

 彼女の人生は東京新聞の記者である佐藤史朗さんによって『「新橋二丁目七番地」地べたに座って40年、靴磨きばあちゃんの教え』(ソフトバンク クリエイティブ/刊)として出版された。本書には中村さんの半生と、靴磨きとしての40年から導き出された教えが綴られている。

「あしたはきっといいことがある。だから大丈夫」

 戦後の混乱期から今に至るまで、貧しいながらも必死で働き、生き抜いてきた彼女の言葉は、すべての世代の人にとって、励ましとなり、エールとなるはずだ。

(新刊JP編集部)

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