―― 先ほど毎日お忙しいとお伺いしたんですけれども、本を読まれる時間というのはあるんですか?
寂聴 それが不思議なことに忙しいと読むのね。こんなに仕事があるというときに読みたくなるの。(仕事を)やりたくないのね……。本を読み出したらね、面白い本だと読んでしまうでしょう。少し時間ができるとバッと読むの。
―― 本は本屋で購入されたりするんですか?
寂聴 大体、欲しい本を送ってきますね。それからスタッフがいますから、必要な本、この本と言ったらパッと。例えば新聞の広告を見るでしょう? それを見てこれちょっと読みたいなと思ったら、すぐに注文する。注文したら翌日には来ますよね。自分が買いに行く暇はないですね。
―― 昔と比べて本の造りだとか内容だとか、こんなところが変わったなとか、逆にこういうのは変わっていないね、というのはありますか?
寂聴 今は本が売れなくなったんですよね。だから出版社が焦って非常に簡単に作りすぎるわね。昔はそんなに簡単に作らなかった。編集者も本を出すことが誇りでしたね。だから作家と編集者が本当に一緒になって、できるだけいい本にしましょうね、という、そういうのが以心伝心で伝わってきて。
だけど今はもう本当に顔を見ないものね。今はこんにちはって編集者がやってくるでしょう。新しい担当だと。でもそれっきりでね。あとは、それこそ電話とかメールとかでしょう。それから原稿も「何日にください」なんて言われて、あとはFAX。そうしたら編集者の顔を見ないものね。情が移らない。
昔はよく顔を見て仲良くなっているから、原稿が遅れたらあの人が困っているだろうなとかね、ご飯も食べずに待っているかな、なんて思うじゃない。そうすると早く書いてやらなきゃと思ったものだけど、今はそういうのがないわね。
昔の編集者は、年がら年中作家とくっついていたんですよ。今はそんなことはないですものね。だからお互いがお互いのことを知らない。編集者はその作家の生活で何か変わったことがあったら、これを書かなきゃと言って、くっついて書かせてたんですよ。
―― 書かせるんですね。
寂聴 書かせるんです。「そんなの書けない」なんて作家が言っていてもね、編集者に「でもこれを書かないとダメですよ」なんて言われたらね、書く気になる。
―― そういう役割も持っていたんですね。
寂聴 そういうことが、それが編集者だったのよ。一緒に酒を飲んで、グデングデンに酔って。そんなのも1つ1つ仕事だったの。だから文壇バーっていうのがあったのね。そこへ行ったら文士が集まっているという場所。今は、そういうのがないでしょう。
―― ないですね。そうするとおのずと作品にも……
寂聴 情が移らない。編集者の方もやっぱり情が移らないよね。非常に冷たい関係になるから。そんなところから良い小説は生まれない。それはもう読んでいると分かりますよね。
―― その場合、この電子書籍というのも、もっと便利になって、出版する部分でも便利になってくると思うんですけれども。電子書籍でいい小説が生まれるためには、どういうところが大事になってくるんですかね。
寂聴 それはやっぱり、いくら電子書籍だって作るんだからね。作る過程で作家と編集者がお互いに話し合ってできるものでしょう? 長編なんて時間が掛かるじゃない。その間に、ここが面白くないとか、ここは反響があるとか、そういうことが言えるじゃないですか。それを若い編集者が言うと怒る老大家もいるかもしれないけど、それはその老大家がアホですよね。それはやっぱり聞かなきゃね。編集者の意見は聞かなきゃ。
ただ、今は出版社も本当に大変で、売ろう、売ろうとしているからね。何でもいいから直ぐ売れる本を作れと言われているんですよ。そういう中で作った本は、ろくなものがない。
―― そうですね。では、便利になっていけばいくほど編集者と書き手の役割というのは。
寂聴 難しくなりますね。だけど編集を志してその仕事を選んだ以上は、やっぱり本を読んでね、作品を読んでね、自分が気に入らなかったら意見を言ってという風にしないとダメですよね。
―― おっしゃる通りですね。本との関わりの中で、またお伺いさせて頂きますが、最初の読書体験というのはお幾つくらいのときだったんですか?
寂聴 私は5つ上に姉があったんですよ。非常に姉の影響を受けていますね。姉が本、雑誌を買うでしょう、そうしたら私が全部それを読んでいましたね。小学校のときに文学全集、いわゆる日本の明治大正の文学全集があったんだけれども、そういうのはうちにはなかったの。うちは親がインテリじゃなかったから。だけど姉の小学校の先生が文学少女あがりで、そういうのを全部持っていたから、そこへ行って借りて、全部読んだんです。
―― 全部読まれたんですか!
寂聴 分かっていないんだけどね、一応、読んでね。そうするとやっぱり場面なんか覚えていますよね。それで段々分かってくるんですよ。トルストイのカチューシャの話なんか、ネフリュードフがやって来て、遠い池の氷の音が聞こえたなんていうのがあるんです、氷が割れる。そういうのは覚えてるの。
―― 意味は分からないけど、読んでみて体で会得するというのは面白いですね。
寂聴 今はちょっと教養のあるように自分で思っているお母さんたちがね、「この本は悪い」なんて言うでしょう。それで子どもに読ませなかったりして。そんなバカなことはない。何でも読ませたらいいんですよ。子どもは自浄作用があるの。自分で自分を洗う作用があるんですよ。だから漫画はダメなんていうことはないの。もう漫画で知識を得た方がずっといいんですよね。子どもが要求するものを読ませればいいんですよ。
―― 案ぜずとも自浄作用が……
寂聴 大丈夫、子どもは大丈夫。それを読んで子どもが悪くなるなんてことはまずない。嫌になりますよ、変な本だったらね。たくさん読んでいると、目が肥えてきて頭が冴えてきて良い悪いが分かってきます。
―― なるほど。
寂聴 そう、さっきの話ね。こだわってペンで書くっていう話。それ、私と、もうお亡くなりになったけど大庭みな子さん、それと河野多惠子さんと仲が良かったんですよ。で、3人が集まるでしょう。みんな、「機械なんかで書く小説なんか小説じゃないよね、やっぱり小説は手で書かなきゃ」なんて(笑)。3人とも機械が使えないから(笑)。後で大笑いしてね。でもやっぱりそれは手で書かなきゃなとかって言っていたのを覚えています。
―― 小説家なら手書きでしょ、という(笑)。
寂聴 悔し紛れに言っているんですけれどもね(笑)。大場さんなんか墨で書いていた。和紙の原稿用紙を作ってね。毛筆ですよ。キレイでしたよ。私はそこまでいかないけれども。
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