「この作品が売れたのはオレ様のおかげ」? 出版社の著作隣接権は「誰得」なのか(3/4 ページ)

» 2012年04月02日 19時13分 公開
[ITmedia]

「この作品は、編集部が提供する編集サービスによって成立しました」

 では、要するに著者が完成させ、出版社に送るまえのデータを使えばいいのでしょうか。「編集サービスを提供した側の権利」を考えるのであれば、やっぱり話はそんなに簡単ではないと思うのです。

 たとえばその作品が、出版社の費用で取材してつくったものであればどうでしょう。また、資料をたくさん買ってもらっていた場合は?(もっとも私のような零細な著者は、取材費がかかったり資料費をたくさん請求したりすると、そもそも企画が通らなくなるので自分でやりくりして工面しているケースも多いです)

 あるいはまた、企画案やアイディアを編集側から提案してもらってつくった作品の場合は。そして究極的には、議論は「この作品は、編集部が提供する編集サービスによって成立しました」という領域に行き着くことはずです。

 これは極論でも、陰謀論でもなんでもありません。なぜなら実際に、上記のような事情を尊重して「ある単行本が他社で文庫化されるときに、元出版社に何%かのロイヤリティが支払われる」というようなスキームが、現実にしばしば行われているからです。

 そして著者のほうも「お世話になった」という実感があるので、多くの場合これを納得しています。むしろ、元出版社にお金が行くことで「少しは恩を返せた」と安堵することだって少なくありません。

 しかしそこで「ではそうした慣例を、明示的な制度として定めましょう」という話をすればいいのかというと、私はまったくそうは思わないのです。

多様な成り立ちがある世界に

 出版の世界は多様で複雑です。たとえば、もともとWeb上でものすごく人気のあった作品を書籍化した場合はどうでしょう。この場合は、出版社が提供するサービスよりも、コンテンツの価値のほうが高かったのではないでしょうか(現に私は過去、「この作品は、もともとWebにあったものをコンテンツ化しただけ」と言われ、自分で起こしたものと違う評価をされたことがあります)。

 また、テレビですごく人気のあるタレントの写真集や著作の場合はどうでしょう? あるいは「作品づくりにおいて特に編集部の協力はなかった。自分もそのほうがやりやすい。自分で取材し、構想した。そして告知も自分で書店をまわって、さらにネットでもがんばりました」というようなケースもあるはずです。

 これらのケースでは「編集サービスを提供した側の権利が発生します」と言われても、やはり納得できないかもしれないかもしれません。

 このように多様な成り立ちがある世界に、上から一様に著作隣接権などという新たな権利を制度化することは、そもそも無理ではないかと思います。私は音楽の原盤権に関わる仕事は一度しかしたことがありませんが、音楽とは事情が異なると感じます。

 こうした権利を認めるメリットして挙げられる弾力的な著作権運営ですが、確かにケータイコンテンツ、電子書籍の現状を考えると、多数のポータルで配信し、その総数を積み上げていくのが常道です。そしてこうした運用の際に、ひとつひとつ許諾を取っていくのは現実的ではないかもしれません。そこに弾力的な著作権管理が必要だとは感じますが「そこは御社にお任せします」という、著作権管理委託の条項を出版契約に含めればよいだけではないでしょうか。海賊版への対応も同様です

 (余談ですが、現実的に多数のコンテンツプロバイダと著者個人が契約するのは困難でもあります。出版社と取り引きのある大きな電子書籍書店で、巨大なコンテンツホルダーである出版社との関係にひびを入れる覚悟で、著者と直接契約を結んでくれる会社を私は知りません。実際にはあるのかもしれないが、私の知っている例ではただひとつ、アップルだけ。こうしたところ、やはりスティーブ・ジョブズは偉大だったと、しみじみ思います)。

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